・狩野周信「六歌仙図」(板橋区立美術館)絹本著色、本紙(各)9.2cm×7.7cm、一帖、17~18世紀、板橋区立美術館『新古今和歌集』の時代に活躍した後京極摂政前太政大臣、大僧正慈鎮、西行法師、皇太后宮大夫俊成、前中納言定家、従二位家隆の姿が描かれている。それぞれに「周信筆」の署名と「如川」(朱文方印)が捺される〔図9〕。唇を淡墨で描き、その上に朱を点じるのは周信本と共通するが、朱の色が淡いため落ち着いた印象を与える。額に胡粉を厚く塗る点や髪の毛を墨で均一に塗る点は周信と共通する。髪の毛の垂れている本数は多く、眉の描写なども相まって全体的に周信本よりも丁寧な描写が見受けられる。探雪本〔図7〕は周信、常信と大きく異なる。輪郭は頬のふくらみが抑えられ、切れ長の目や角度のある眉の描写から鋭い印象を受ける。顔全体に胡粉を塗り、眉毛は淡墨の細い線の上から濃墨の線を施す。唇は上唇のみ描かれる。髪の毛はにじみが多く、生え際の線も太い。衣服においては、常信本では裾の裏地部分に薄い色彩を施して、細部まで丁寧に的確に描写しているが、周信や探雪は衣文線に整合性が取れていない部分が見られる。このように人物表現では、周信は常信の描法を学びつつも、細部に簡略化した部分が看取される。一方で探雪本は周信以上に粗放さが目立っている。また、衣服表現の類型化は他の絵師にも見られ、例えば駿河台狩野家の洞春福信「王照君」〔図8〕でも、襞や衣文線に整合性の取れていない部分が看取された。本作と狩野探幽「新三十六歌仙」(東京国立博物館)の面貌表現を比較すると、周信の人物は、いずれも眼の横幅が小さく、隈取りや皴が簡略化され、顔の輪郭線や皴には弱々しい細い線が用いられている〔図10〕。探幽本に見られる面貌の的確な描写に対して、周信本では粗い部分が見受けられる。前述の「和漢画手鑑」でも確認できたが、周信本では衣服の細部に整合性の取れていない部分が多々ある。これらのことから、細部の丁寧な描きこみへの意識は探幽本よりも低くなっていることがわかる。松島仁氏によると探幽本は各歌仙のアイデンティティに応じ巧みに線の質が使い分けられているために、西行法師は筆の肥痩や筆触性を生かした面的で軽妙な描線が用いられ、流離いの隠遁者としてのイメージが増幅されることが指摘されている〔図11〕(注23)。周信の西行図も他の歌仙に比べると肥痩のある線が用いられる〔図12〕。しかしながら、探幽ほど軽妙で肥痩の強い線ではない。西行図を他の歌仙より太い線で描く点は狩野常信「新六歌仙画帖」(徳川美術館)にも確認できるが、ここでも探― 539 ―― 539 ―
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