① ドイツの樹木の聖母像について研 究 者:静岡文化芸術大学 文化政策学部 講師 藪 田 淳 子はじめに西洋におけるジャンルとしての風景画は17世紀のオランダで成立したが、油彩で風景画が描かれた最初期の例は、アルブレヒト・アルトドルファーの《城のある風景》(1520-25年頃、ミュンヘン、アルテ・ピナコテーク)だとされる。近年ウッドは、16世紀のドイツで神聖視された森のイメージと風景画成立との関連を、ドイツの人文主義者の書を引用しながら推察した。氏は宗教改革やイコノクラスムの影響から、アルトドルファーの風景画にはキリスト教的・象徴的意味が込められていた可能性を指摘する(注1)。シュタートローバーは、アルプス山脈に隣接する地域に共通の森の描写がみられ、その描写がドイツで独自に発展した様式が「ドナウ派」であると分析する。氏はドイツの森についてのハンス・ザックスの記述を引用し、森には教訓的な意味が込められていたと推察した(注2)。このように、ドイツ人文主義者たちの森のイメージへの着目と風景画成立との関連について論じられてきたが、風景画の個々のモチーフの分析が不十分で、その意味内容について十分に検討されてきたとは言いがたかった。そこで本論では、ルーカス・クラーナハ(父)(以下クラーナハ)の樹木の聖母の作例を起点に、16世紀ドイツにおける樹木モチーフの意味を探り、風景画成立の背景の一端を明らかにしたい。クラーナハの樹木の聖母は少なくとも12点が現存し、大半は1510年代の制作と推定される〔図1~2、表1〕。工房作も多く残ることから、一定の需要があったと思われる。注文主や制作の経緯は不明であるが、比較的小さな板絵であり、塀や生垣といった「閉ざされた庭」のモチーフが描かれていることから、私的な祈りのために制作されたと考えられる。いずれにおいても、樹木が背景の一部というよりも、聖母と対になるように強調して描かれている。先行研究では、イタリアの風景の中の聖母子の作例を参考にしたことが指摘されるが、樅やオークといったドイツの植生に合わせた樹木が描かれている点が異なる(注3)。以下、当時のドイツにおいて、このような特徴的な樹木の聖母が受容された背景について考察したい。― 555 ―― 555 ―3.2021年(2020年度助成)
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