1、樹木の聖母の典拠樹木の聖母に関わる主題としては、「エッサイの樹」と「モーセの燃える柴」がある(注4)。エッサイの木はダビデ王の父親であるエッサイからキリストに至る系統樹を表す画題である〔図3〕。燃える柴は聖母の処女懐胎の象徴で、受胎告知の予型とされた。ペレールは、「エッサイの樹」図像の派生として生まれた樹木の聖母図像が16世紀後半、カトリック改革期の北イタリアにおける「ロザリオの聖母」図像の源泉となったとした(注5)。「エッサイの樹」の図像は、イザヤ書11章1-2節「エッサイの株からひとつの若枝が育ち/その上に主の霊がとどまる」に由来するものだったが、この文言の「株(virga)」が「乙女(virgo)」と解されたことで、12、3世紀に聖母を幹とする図像が生まれ、さらに幼子イエスを抱いた聖母が樹上に座す図像へと発展したという。大野陽子氏は、「モーセの燃える柴」も、樹木の聖母イメージのモデルになったと分析する(注6)。氏は、巡礼地において、教会の正統なイメージである「エッサイの樹」と「モーセの燃える柴」に似た「樹上の聖母」の像の前で礼拝することを教会も否定はできなかっただろうと推察する。聖書では、雅歌、シラ書24章、イザヤ書60章において、聖母が特定の樹木に例えられているが、樹木の聖母図像にかかわる重要な書は二点ある(注7)。まず13世紀フランスの神学者聖ラウレンティウスのリシャールによる聖母の賛美書である。『祝福された聖母の賛美について』(1473年頃)の12巻6章「雅歌において閉ざされた庭にたとえられた聖母について」は、アルベルトゥス・マグヌスの同名の書の論述書になっており、聖母の無原罪性について言及される。同書には、トレント公会議以後の16世紀後半に浸透した聖母の無原罪の御宿りの象徴だけではなく、超自然や自然に関する様々な事物が含まれる。樹木に関して言えば、アルベルトゥス・マグヌスの原典に基づき、聖母が33の樹木にたとえられている。たとえば、同書の「糸杉」の記述では、次のようにある(注8)。…聖母は糸杉と呼ばれる、なぜなら糸杉は薬用の木だからである。それは、聖母が、忠実な魂を救い、私たちの傷を治す医者であるキリストを生み出したからである。…この賛美書の樹木の記述を、よりわかりやすく説明したものがコンラート・フォン・メゲンベルクの『自然の書』である。同書は、1348-50年に刊行され、1475年に― 556 ―― 556 ―
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