印刷本が出版されて以来、1500年までに少なくとも6度は再版され、ドイツ語に訳された初めての自然に関する書として、南ドイツで広く読まれた。この「樹木について」の章の「楓の木について」の項目には次のようにある(注9)。聖母は…神自らが汚れのない木で創られた契約の櫃であり、(その櫃は)我々に救済をもたらすものである。同書でも、樹木の効用とともに、キリスト教の象徴的な意味が記されている。16世紀ドイツにおいて、樹木は薬草を研究する植物学の知識と、キリスト教の象徴的意味が混在して解釈されていたことがわかる。樹木の聖母図像のもう一つの典拠としては、ロレートの連祷が挙げられる。これは特定の樹木6種と聖母や聖人が描かれた〈アルブレヒト祭壇画〉〔図4〕の典拠となったものである(注10)。この連祷の基礎になったのは12世紀後半のフランクフルト版で、15世紀から普及したテキストでは樹木が聖母の美徳の象徴として称えられている。一方巡礼地では、樹木の聖母像が信仰を集めてきた。樹木の聖母信仰はケルトの伝承の残る地域で生まれ、広まったといわれる。ただドイツでは、宗教改革等に際して聖像や樹木が取り去られ、現存する例は少ない(注11)。大野氏によると、樹木の聖母の巡礼地は、絵画やレリーフなどが樹上で発見、設置された①「画像発見・設置型」、彫像が同様の経緯で置かれた②「彫像発見・設置型」、聖母が樹上に出現した③聖母出現型の3つに分類できる(注12)。絵画やレリーフはエレウサ型などイコンの形態のものが多く、彫像は、聖母子の立像やピエタ像で、樹木の窪みに納められている〔図5〕。この巡礼地の樹木の聖母の奇跡の物語を描いた珍しい例として、リューラント・フリューアウフ(子)〈聖レオポルド祭壇画〉〔図6〕がある。これを見ると、聖母が顕現した樹木を囲むように聖堂が建てられ、樹木の前に祭壇が置かれている様子がわかる。また北イタリアでは、祭壇画として樹木の聖母が描かれている。ジローラモ・ダイ・リブリ《聖母子と聖アンナ》〔図7〕では、聖母子の背後に檸檬の木が見られる。中世以降、北イタリアで崇敬を集めた樹木の聖母の巡礼地の図像が反映されたものだと言えるだろう(注13)。このように、北方や北イタリアで樹木の聖母の巡礼地が流行していた状況から、聖像だけではなく祭壇画としても樹木の聖母図像が求められてい― 557 ―― 557 ―
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