鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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たことがわかる。2、ピンダー祈祷書における樹木の聖母クラーナハのような公的な祭壇画ではない樹木の聖母はイタリアでは見られず、もっぱらドイツにおいて制作されている。その背景として、ドイツにおける聖母信仰が反映されている可能性が考えられる。同時代の聖母信仰を知るための資料として、ウルリヒ・ピンダー編『ロザリオの聖母の閉ざされた庭』(1505年、11巻本2冊、以下、ピンダー祈祷書)〔図8〕がある(注14)。同書はニュルンベルクのドミニコ会のロザリオ同信会の注文によるもので、1000を超える挿絵が約1200頁に渡って掲載されている。挿絵はハンス・ショイフェラインやハンス・バルドゥンク・グリーン、ハンス・フォン・クルムバッハらデューラー工房の手になる。ピンダー祈祷書は、教理問答形式によるロザリオの祈りの概説書となっており(注15)、樹木と聖母、または聖母の象徴としての樹木の図像が12回登場する〔図9~10〕。同書挿絵は、頭から生えるような樹木など、クラーナハの樹木の聖母と類似する部分が多い。本文では、聖母が旧約聖書に登場する樹木に例えられ、とりなしの役割が強調される (注16)。聖母は美しいオリーブの木。その木のそばで神の慈しみにあずかり…病人は罪を許される…さらに、樹木が正しい信心の象徴とされる(注17)。聖母は枝にたとえられる。…ユダヤの砂漠の地に芽が生え出で…信仰の庭となる、その庭はキリスト教の教会である。その庭には聖母を表す薔薇や処女を意味する百合が咲く…このように、樹木は教会や正しい信仰、神の恩寵、救済の象徴と捉えられている。ピンダー祈祷書では、岩山や海の星、塀や閉じられた門といった、聖母の処女性を表すモチーフとともに、突出して樹木が多く登場している。巡礼地における樹木の聖母信仰の流行を反映したことが考えられるが、同書以前に、樹木と聖母が版本において多数描かれた例はみられない。クラーナハの樹木の聖母では、聖書に記される樹木では― 558 ―― 558 ―

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