鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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なく、樅やオークといったドイツ的な樹木が描かれているが、その要因について次にドイツ人文主義の側面から考察したい。3、ドイツ人文主義における森と樹木ウッドやシュタートローバーが推察するように、1500年頃のドイツにおいて、森は特別な意味を有していた。人文主義が興隆したドイツでは、従来の文化的後進国のイメージの刷新が試みられている。ドイツ人文主義の第一人者、コンラート・ツェルティスは、ドイツの地誌を記述した『ゲルマニア概要』(1498-1500年)や『愛の四書』(1502年)を出版し、ドイツ概念を共有するために尽力したが、そのなかで森のイメージについて語っている(注18)。『愛の四書』2書9章では、古代ローマとゲルマニアを対置したタキトゥスの『ゲルマニア』の内容を踏襲して、古代ゲルマニアの「簡素な風習」こそが、ドイツが文化的・経済的繁栄を果たすきっかけとなったと言及する(注19)。かつて(のゲルマン民族)は、美徳に満ちあふれていた。…ドルイド教の民は清らかな森で歌をうたい、その歌はチュートン(古代住んでいたゲルマン民族の一部族)の神を称えるものだった。当時のドイツのカトリック教会の腐敗を憂えたツェルティスは、ドルイドの民の慣習を、現代ドイツが見習うべき信仰態度とし、彼らが神の存在を信じた森を、悪徳に侵されていない神聖な場所と捉えている。さらにツェルティスは、『ゲルマニア概要』で、ドルイドについて次のように叙述している(注20)。(ヘルシニアの)森には、年老いたオークが集まった大きな聖域の森が広がるが、この聖域は宗教心や古い慣習から神聖な存在として崇められ、鬱蒼とした森の、陰になった静かな場所に、ドルイドの壮麗な僧院がたくさんあった。ここでツェルティスはオークの木を、古ゲルマンの信仰の象徴として捉えている。このような聖域としての森のイメージが、樹木の象徴的意味が浸透する契機となったと推定される。またドイツ人文主義における樹木モチーフを考える前提として、後期ゴシック祭壇― 559 ―― 559 ―

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