の樹木の意味に注目したい。エッティンガーによると、1500年頃のドイツ語で木の葉を意味する「Laub」は、葉飾りとともに聖櫃もしくは聖なる場所を意味していたと考えられる(注21)。1482年にニュルンベルクで出版されたドイツ語辞典「Vocabularius Teutonicus」では、「Laube」が「tabernaculum」と訳されている(注22)。エッティンガーは、後期ゴシック木彫彫刻の天蓋装飾で葉飾りが多用されているのは、聖なる場所を暗示させる意味があったためだと推察する(注23)。時代が進むと、さらに繁茂した植物装飾が見られるようになる。ツヴェッテルの中央祭壇〔図11〕では、シュラインにゲシュプレンゲ(尖塔彫刻)ではなく、両端に2本の木の幹が表され、天蓋装飾につながるようになっている(注24)。主題は聖母被昇天の場面であるが、ここに生命の木としての祭壇が直接的に表されているのがわかる。中世より木彫祭壇が浸透していたドイツにおいては、樹木は聖域を表すモチーフとして、より受け入れられやすい環境にあったと考えられる。4、樹木の意味ここで、従来論じられてきた森だけではなく、樹木について、クラーナハの作品を中心に考察したい(注25)。従来の研究で言及されてきたように、ヴェネツィア旅行を契機としたデューラーの水彩風景や、版画の背景に描かれた風景描写は、クラーナハをはじめとしたドナウ派と呼ばれる画家たちに模倣されている。ただクラーナハは、デューラーのように風景を人物に従属させず、前面に強調するように描いた。とくに樹木が強調されるのは、聖母像または聖人像においてである。この樹木は背景の一部というよりも、人物と呼応するような特定の意味があったように思われる。このような樹木モチーフの意味を共有していたのは、ドイツの人文主義者たちであったと考えられる。クラーナハは活動の初期にあたる1500年頃にウィーンに滞在し、ツェルティスを中心とする人文主義サークルと交流があった。1505年以降、ヴィッテンベルクでザクセン選帝侯の宮廷画家として活動しているが、同地も、ウィーンを中心とした人文主義の拠点のひとつであった。このウィーン遍歴時代に制作した作品が《クスピニアン夫妻の肖像》〔図12〕である(注26)。翌年には《法律家とその妻の肖像》〔図13〕を制作しているが、いずれにおいても、男性像には枯れ木が、女性像には繁茂する木が対になって描かれている。枯れ木と繁茂する木は、伝統的には救済を表すモチーフとされてきた(注27)。同時にこのモチーフは、チェーザレ・リーパ『イコノロギア』(1611年)のriformaの項目〔図14〕に掲載されており、改革の象徴と記される(注28)。説明文には「改革に― 560 ―― 560 ―
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