際して法を守らない者たちを矯正するために、鉈で樹木を整える」とある。挿絵の枯れ木は、法が失われたときの無秩序な状態を表しているといえるだろう。ランダーによると、この樹木モチーフはウェルギリウスのような古代の著述家によって「renasci, rinascere, rinascita」の意味で使用されており、ウィーンの人文主義サークルにいた注文主たちはこれを意識的に使用しているという(注29)。このような肖像は、聖ヒエロニムス〔図15〕や聖ヨハネといった荒野の聖人像の裏面に描かれていた可能性が、デュールベルクによって指摘されている(注30)。クスピニアンは1497年に、キリスト教ラテン詩人であるプルデンティウス『日々の賛歌(カテメリノン)』を出版しており、このうち第7歌「断食の賛歌」では、洗礼者ヨハネが荒野の中の苦行生活の模範として詠われる(注31)。プルデンティウスの同書は日々の生活のなかで、どのようにして神へ近づくことができるかという問題が取り扱われている(注32)。聖ヒエロニムス信仰は、14世紀のイタリア人文主義者の間で高まり、正統信仰や古典研究の功績から、人文主義教育の模範と見なされていた(注33)。イタリアでも、荒れ野や岩山で隠遁する聖ヒエロニムス像が受容されていたが、ドイツでは樹木が強調して描かれている。さらに南ドイツでは、聖オヌフリウスが人文主義者の信仰を集めており、やはり森で信仰生活を送る様子が描かれている〔図16〕。たとえばセバスティアン・ブラントは、1494年に「隠遁者聖オヌフリウス」と題した賛美詩の一枚刷り版画を挿絵付きで発行しており、オヌフリウスを信仰の模範として称えている。ブラントがいたバーゼルのカルトゥジオ会では聖オヌフリウスが崇敬を集めており、ブラントはバーゼルの人文主義者が考える理想的な聖人信仰を広めるために、オヌフリウスの賛美文を詠んだ(注34)。この賛美文では、オヌフリウスが鬱蒼とした森や樹木に囲まれ、樹木の木の実など神の恵みを受けて、信仰生活に没頭する様子を詳しく描写し、詩文全体を通して、自然に顕れる神の存在について詠っている。以上のことから、ドイツでは、イタリアの人文主義の影響を受けながらも、古ゲルマンにとっての森のイメージが浸透したことにより、ゲルマンのアイデンティティを表すモチーフとして、樹木がとりわけ強調された可能性が考えられる。おわりに以上、クラーナハの樹木の聖母を起点に、16世紀ドイツにおける樹木モチーフの意味を考察してきた。ピンダー祈祷書には、クラーナハの作例と共通する樹木の聖母の― 561 ―― 561 ―
元のページ ../index.html#574