鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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注⑴ Christopher Wood, ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■, Reaktion Books, 2004(1993), ⑷ 大野陽子「イタリアにおける『樹木の聖母』─崇敬と図像」『民族藝術』vol. 30、2014年、166-⑼ Konrad von Megenberg, Franz Pfeiffer(ed.), ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■133.後の誘惑』カタログ、国立西洋美術館/国立国際美術館、2016年、48-49頁。168頁。Remigius Bäumer(ed.), ■■■■■■■■■■■■■, vol. 1, EOS Verlag, 1988, pp. 329-331.pp. 179-188.⑵ Margit Stadlober, ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■, Böhlau, 2006, pp. 131-⑶ グイド・メスリンク「ルカス・クラーナハ(父)ブドウを持った聖母」『クラーナハ展 500年⑸ M. L. Gatti Perer, “Per la definizione dellʼiconografia della Vergine del Rosario: lʼ istituzione della compagnia del S. Rosario eretta da san Carlo e lʼedizione italiana figurata del 1583 delle «Rosariae preces» di Bartolomeo Scalvo”, ■■■■■■■■■■■■■■■■■■ʼ■■■■■■■■■■■ «■■■■■■■■■■■■■■», 1997, pp. 188-199.⑹ 大野、前掲書、167-168頁。⑺ Bäumer(ed.), ■■■■■■., pp. 328f.⑻ Richardus de Sancto Laurentio, ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■, Straßburg, Johann Mentelin, ca.1473, fol.255v.■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■, Aue, 1861, p. 338.⑽ Lottlisa Behling, “Die Bäume Mariens auf dem Albrechtsaltar zu Klosterneuburg”, Josua 描写が多くみられたように、樹木の聖母が祈りの対象となっていた。キリスト教では伝統的に、エッサイの木や燃える柴の主題で聖母が樹木とともに描かれてきたが、クラーナハの作例は、巡礼地の樹木の聖母の図像を反映した可能性がある。それとともに、ドイツでは木彫祭壇において、樹木が聖なる場を表すモチーフとして浸透していた。また人文主義が興隆したドイツでは、樹木は刷新と復興、再生を意味すると同時に、古ゲルマンの聖域を表し、新しい信仰の象徴とみなされるようになっていた。宗教改革期には、ルターの「律法と福音」の版画に掲載されたクラーナハの挿絵において、旧約聖書の側に枯れ木が、新約聖書の側に繁茂する木が描かれているが、新しい信仰のあり方が求められた時代において、樹木が正統な信仰を表すモチーフとみなされていたのではないだろうか。ゲルマンの伝統が呼び覚まされたことによって、ドイツにおいて樹木が強調して描かれるようになったことは、クラーナハらドナウ派の画家たちによる森や樹木の描写と無関係ではないだろう。その点において、クラーナハの樹木の聖母は、ドイツの風景画誕生の過程を物語るうえで、さらに検討するべき重要な作例であるといえよう。― 562 ―― 562 ―

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