鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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注【凡例】・下記文献については引用と参照箇所を略号のあとにページ数を併記して示した。 KR:須田国太郎『近代絵画とレアリスム』中央公論美術出版、1965年 SS:岡部三郎編著『須田国太郎─資料研究』京都市美術館、1979年 SH:齊藤陽介『須田国太郎 写真資料に関する報告書』上原美術館、2020年ス棚と骨組みが作る直線は実体感を伴って描かれている。さらにこの骨組みは、ケースの外側と内側とでヴァルールの差をつけることで奥行を表している(注21)。写真においてガラス棚が作っていた遠近感は、絵画では左上から右下へと伸びるガラス棚の斜線と彫刻のある棚板の上下間隔を、大幅に圧縮することで表現されている。絵画の左下に描かれた男性彫像は、写真よりもさらに横に引き延ばされている。いわば写真のレンズが生む効果をより誇張することで、存在感を増している。この彫像から右側の彫像については、徐々に明部と暗部の対比を弱めていくことで、ヴァルールによる遠近感を作っている。写真がモティーフの構図的な要素によって奥行を感じさせるのに対して、須田はそれに加えて、絵画に固有のヴァルールをコントロールすることによって奥行を生み出し、絵画空間を充実させたものにしている。本作は絵画が写真とは異なる特徴をもち、ある意味写真に優越すること示した須田なりの回答といえるのではないか。おわりに本稿では須田の言説、絵画、写真を見ていくことで、彼の制作における写真の役割を考察してきた。写真についてはその技術面がもたらす構図上の新しさ等について、自身の芸術観から確かな見方をもっていたことが分かった(注22)。彼にとっては、画家の創意を発揮できる点で絵画は写真に優越することから、基本的に写真は絵の勉強のための材料という位置づけに留まっている。しかし、写真がみせる新しい美は間違いなく須田の芸術を豊かにしただろう。写真の発明以後、絵画は従来本領としてきた再現的な表現から、抽象表現などの新しい表現へと変化していく。そうした状況下で独自のレアリスム観をもって自身の絵画を模索していた須田にとって、写真の存在は無視できない重みをもっていたに違いない。― 584 ―― 584 ―

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