⑴ 井口芳夫「須田国太郎のカメラと写真─二十世紀前半のカメラ史から」『美術フォーラム21』⑸ 須田国太郎「新たに見出されたる美の諸相(講演)」『美・批評』第2号、美・批評社、1930年、⑺ このことに関して次の文章でより具体的に語られている。須田国太郎「構図について」『洋画⑿ 須田国太郎「能の姿」『幽玄』創刊号、1946年、11-12頁。⒀ 須田国太郎「ある野獣主義者の出発」『美術教育』1952年3号、日本美術教育学会、6-7頁。⒁ KR204-205頁。⒂ 須田はコンラート・フィードラーの芸術論からこうした考えを受容し、自身のセザンヌ批評な・ 須田国太郎の作品について、『須田国太郎画集』(京都新聞社、1992年)掲載作品は[SG○○]と⑵ 2023年から2024年にかけて開催の巡回展「須田国太郎の芸術─三つのまなざし」は、須田の代表作と写真を同時に展示する展覧会となっている。『生誕130年 没後60年を超越えて「須田国太郎の芸術─三つのまなざし」』醍醐書房、2023年。また、近年、上原美術館も須田の滞欧期写真100点を購入し、その一部を展示している。展覧会「春の訪れ」(2024年1月20日~2024年4月14日)。⑶ 湯浅ひろみ「「須田国太郎の写真と絵画-滞欧期(一九一九~一九二三)を中心に」『美術⑷ 『検証 須田国太郎の《筆石村》』展カタログ、静岡県立美術館、1996年、7、40-41頁;SH ⑹ 西田哲学との近さは須田が色彩の変化とその背後にある「動かぬ色」について述べた文章から端的に確認できる。KR55、59、65頁。また次も参照。土屋誠一「須田国太郎の絵画作品における芸術理論的背景の研究:「京都学派」との相関関係を中心に」『鹿島美術研究(年報第38号別冊)』2022年、494-501頁。⑻ 須田国太郎「天然色映画について─「赤い靴」「ヘンリー5世」など─」『映画芸術』第5巻第⑼ 齊藤陽介「須田国太郎の芸術論形成─師・深田康算の影響から─」『須田国太郎─珠玉の上原コレクション─』上原近代美術館、2012年、92-98頁;梶岡秀一「須田国太郎のアリストテレース論」『視覚の現場』第2号、醍醐書房、2020年、11-13頁。⑽ 須田寬「「須田国太郎 能・狂言デッサン」と父須田国太郎の思い出」『懐徳堂センター報』⑾ 須田寬「「能」の灯を守った方々」『国立能楽堂』2022年5月、No.461、独立行政法人日本芸術⒃ 須田寬氏によると、写生と並行して書物から鳥の生態や解剖図などを写し取っていたほか、『朝日グラフ』などから動物の生態写真などは切り抜いてファイルを作り、「絵の材料、絵の勉強材料」と言っていたという。須田寬「「須田国太郎 能・狂言デッサン」と父須田国太郎の思い出」21-22頁。⒄ 本作は額裏に須田の弟子である洋画家・奥田仁による識書があり、また署名も須田がデッサンなどに記したサインと共通しているため、本稿では須田の真筆として扱う。奥田仁については記した。第47号、醍醐書房、2023年、72-77頁。フォーラム21』第47号、醍醐書房、2023年、63-71頁。48-51、163頁。65-68頁。技法講座3 改訂版』美術出版社、1949年、49頁。6号、映画芸術社、1950年、4-5頁。2004年、大阪大学大学院文学研究科・文学部懐徳堂センター、32頁。文化振興会、6-7頁。どに応用している。注⑼の齊藤論文参照。― 585 ―― 585 ―
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