鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
604/712

マリアの周囲に描かれた巻紙を持つ四天使のうち、上部の二天使はもう一方の手でマリアの頭上に冠を掲げ、下部の二天使はマントの端を持ち広げる。巻紙のテキストは、上部右の天使が「天の女王、ハレルヤ」、左が「世界の女王が現れた」といずれも聖ジェモロの交誦が引用される。下部右の天使の「母なるマリア讃えよ、慈悲の聖母」は、日常的ミサとしてスフォルツァ家の礼拝堂で使用されていたマリア讃歌の一篇である。左の天使の「汝、星のマリア、悲しみの」は、シクストゥス4世が作成した「贖罪」の祈りから序文と跋文が抜粋されたものである(注18)。マントの内側、マリアの右手前には注文主であるレオナルドと思われる人物と男性群、左に女性群が跪く。庇護される男女の間には「教皇シクストゥスに代わって、12,000年の正当な贖宥のために……/神の母マリア、天の女王……/唯一の世界の主……/汝はイエスを身ごもった……」と記される(注19)。「贖宥のために」に続くのはシクストゥス4世自身が創案したと伝えられる「Ave Sanctissima Maria」の祈りであり、後に「太陽の聖母」図像と組み合わされ、贖罪の対象とされたものである(注20)。フレスコを囲むアーチ上方には、神を中心として二人の天使が対置される。その巻紙にも、「みよ、汝は母、恋人、わが花嫁」とノガロリスの祈りが引用されており(注21)、ロンバルディアでは「ミゼリコルディア」と「無原罪の宿り」が等しく考えられていた可能性がある。ところでこの時期、なぜ、ベネディクト会の聖堂に「無原罪の宿り」が示されたのであろうか。ベネディクト会は伝統的に「無原罪の宿り」を擁護していたとされるものの(注22)、ロンバルディアでは説教者カペストラーノにより伝えられたシエナのベルナルディーノへの崇敬と共に、既に15世紀前半にはフランチェスコ会の勢力が拡大していた(注23)。1403年以降ミラノでは、「無原罪の宿り」がフランチェスコ会の聖堂で公式に祝われていたとも伝えられる(注24)。フレスコが制作された1482年とは、ロンバルディアに限定した教皇令が出された年であり、しかも、シクストゥス4世はミラノのフランチェスコ会原始会則派を有利とするため、ベネディクト会に関連する金銭的支援を減じている(注25)。因って、立場の改善を目論見として「無原罪の宿り」を擁護する姿勢を強調する意図のもとに、フレスコが制作された可能性も考えられる。いずれにしても、ガンナのフレスコにはシクストゥス4世の存在が見え隠れしている。図像としても、本作品のマリア表現の手掛かりとなり得る興味深い作例であると言えよう。― 591 ―― 591 ―

元のページ  ../index.html#604

このブックを見る