鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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3 「ミゼリコルディア」と「幼子の礼拝」の統合ガンナ、モルヴェーニョ、システィーナ礼拝堂旧祭壇画マリア像は、その形態的特徴から、本作品のマリア像を考察する鍵となり得る。三例に共通する「子を伴わず立つ」、「手を合わせ祈る」姿勢は、本作品を含めた同時期の「無原罪の宿り」図像にも認められる。従って、このマリア像が「無原罪の宿り」図像の一形態として、どのような経緯と意図のもとに考案されたものであるかを確認しなければならない。「ミゼリコルディア」は庇護する者、神の恩寵を執り成す者としてのマリアの役割が強調された主題である。執り成す者とは完全に罪を持たない者であり、その意味においてマリアの処女性と結びつけられる。図像的には身にまとうマントで他者を包むという身振りが「他者を庇護する」という意味に繋がる(注26)。マリアが自身のマントで人々を庇護するイメージは、13世紀初頭にシトー会士であったカエサリウスが『奇跡の対話(■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■)』に記した幻視と聖ドミニクスが体験した幻視であり、ドメニコ会士によって記された道徳劇『人間救済の鑑(■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■)』に由来すると考えられている(注27)。一方、旧約聖書では翼を広げた神の姿が天幕に置き換えられ(注28)、天幕に置かれる契約の箱はマリアと予型的に結びつけられていた(注29)。「ミゼリコルディア」は「翼で人々を守る」というイメージが神の救いを執り成す者としてのマリアに重ねられ、神の翼がマリアのマントへ読み替えられたものではないだろうか。この主題のマリアは単独立像で描かれるものが多く、形態的には「オランス」に由来するように思われる。両手を差し出し祈る動きは、「執り成しの聖母」として人気を博した「アギオソリティッサ(聖櫃)」と呼ばれる高名なイコンもあり(注30)、イコンとの関連も視野に入れるべきかもしれない。立像のマリア像に関しては、ペスト期のトスカーナに一時的、かつ集中的に現れたというミースの指摘がある(注31)。堂々と立つマリアは伝統的に教会(エクレシア)の擬人像とみなされ(注32)、執り成しの役割と結びつけられた。マリアは執り成しのために、着座せずして側に侍り、主に近づき、主の耳もとにあって罪に対する残酷な宣告を思いとどまるようにしていた(注33)。クリヴェッリがマリアを立像で描く例はほとんど確認できないが、管見の限りでは、本作品の他にもう一例存在する。それが《ミゼリコルディア》(1487年、個人所蔵)である〔図5〕。この主題には珍しく、マリアは右腕に幼子を抱き、左手でオランスの姿勢をとる。この作品から想定し得るのは、「ミゼリコルディア」の持つ執り成しの意味─罪を持たない─の表現において、少なくとも当時のマルケでは、処女性― 592 ―― 592 ―

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