鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
606/712

を表すのものとして立像表現が必然とされていたのではないかとの仮説である(注34)。マリアが立つ姿勢が含意する「死の克服」を指摘するのがローランズである(注35)。この解釈から導かれ得るのは、マリア像自体から、死に勝利した─原罪を免れた─というメッセージであり、立像こそが「無原罪の宿り」にふさわしい表現であると仮定するに際し、より直接的で強力な後ろ盾となる。一方、「手を合わせる」という所作には、受難を暗示する「幼子の礼拝」との関連を想定する。本来、マリアは跪き地面に横たわる幼子を、もしくは椅子に座り膝の上に寝かせた幼子を礼拝する形式であったこの主題に「立つ」という表現が加味されていく過程は、クリヴェッリの弟ヴィットーレの描いた《幼子の礼拝》(1479年、フォルトゥナート聖堂、ファレローネ)〔図6〕に明らかである。マルケにはマリアが胸の前で手を合わせた姿勢の「ミゼリコルディア」も存在する〔図7〕。基本的には両腕を広げる姿勢であったマリアに手を合わせる表現が加わった作例は、クリヴェッリの弟子であるアレマンノが制作している。この作品はドメニコ会の聖堂装飾の一つとして制作されたものであるため、厳密な意味で「無原罪の宿り」と結びつくものではない。しかし、主題の統合という意味で注目するべき作例である。「無原罪の宿り」図像のマリア像は「ミゼリコルディア」と「幼子の礼拝」が統合された可能性が考えられる。総括すると、手を合わせ祈るマリアの立像表現は、その所作の中に処女性と受難を同時に読み取ることで、神学的意味での「無原罪の宿り」が成立する。つまり、本作品含め、トリエント公会議以前の「無原罪の宿り」図像は「黙示録」に由来するものではない。不可視の神の業を表す「無原罪の宿り」図像は、史伝的、母性的なものではなく、むしろ、聖像としての性格を持ち得るのがふさわしいように思われる。おわりに以上、「無原罪の宿り」図像の成立過程にシクストゥス4世の影響が及んでいたと考え得る事例について、ロンバルディアを中心に検証してきた。モルヴェーニョ、ガンナ、システィーナ礼拝堂旧祭壇画、そして本作品のマリア像は、子を伴わずに立つ、手を合わせ祈るという共通性が認められる。しかし、シクストゥス4世の教皇在位期にあってその意味は、「無原罪の宿り」の結果としての「聖母被昇天」のマリア像に隠された。当時神学論争の最中にあったドメニコ会の反発を回避する意図があったの― 593 ―― 593 ―

元のページ  ../index.html#606

このブックを見る