鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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① 富士山絵画史の構築 2023年度の成果から報 告 者:静岡県富士山世界遺産センター 教授、学芸課長  松 島   仁2023年度は自身の体調と家庭の都合により長期の海外調査を行うことができず、狩野晴川院養信が制作を主導した江戸城障壁画の下絵(「江戸城本丸等障壁画下絵」〈東京国立博物館蔵〉)のうち本丸御殿中奥休息の間のほか、狩野晴川院養信筆「花見遊楽図屛風」(京都国立博物館蔵)や同筆「大和名所図屛風」(静岡県富士山世界遺産センター蔵〈当時個人蔵〉)、滝和亭・狩野永悳立信・野口幽谷筆「住吉富士吉野図」(国〈皇居三の丸尚蔵館収蔵〉)など国内所蔵の作品の調査を実施した。加えて近代の狩野派に関する先行研究にならいつつ、同時代の史料を講読した。上記から得られた知見が下記のとおりであるが、これは2022年度に行った万延元年(1860)度遣米使節・文久2年(1862)度遣欧使節が持参した富士山図を核とするディプロマティック・ギフツ(外交贈答品)としての掛幅画群に対する研究とも一体となり、近世近代以降期の富士山絵画史研究を構成するものである。なお研究最終年度となる2024年度には、前年度に実施できなかった欧州および米国における調査を実施し、富士山絵画史をテーマとする単著執筆に備える。江戸城障壁画と富士山江戸時代のはじめ、狩野探幽(1602~1674)は、雪舟画に依拠しつつ富士山図の定型を創出し(注1)、“ジャンル”としての富士山絵画確立の礎を築いていくが(注2)、彼が編み出した型は、時代を貫流しつつ規範として受け継がれる。こうしたなか江戸時代後期に新しい傾向を提示し探幽以来の江戸狩野派様式を更新した(注3)狩野伊川院栄信(1775~1828)は、富士山図においても新機軸を打ち出す。栄信の作風は、狩野晴川院養信(1796~1846)による「花見遊楽図屛風」(京都国立博物館蔵)や「大和名所図屛風」(静岡県富士山世界遺産センター蔵)、狩野董川中信(1811~1871)筆「富士飛鶴図」(静岡県富士山世界遺産センター蔵)など、自身の息子たちの作品に発展的に継承される。新様式による富士山は、江戸城内の空間も彩った。狩野晴川院養信一門が描いた江戸城障壁画の小下絵群(江戸城本丸等障壁画下絵・東京国立博物館蔵)によれば、江― 611 ―― 611 ―2.2021年度助成

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