注⑴ 山下善也「探幽筆富士山図における学習と工夫」、『美術史』第136冊、美術史学会、1994年3月。⑵ 松島仁「富士山─絵画ジャンルの創生と展開」、『聚美』第29号、2018年10月。 同「富士山を描く」、遠山敦子編『富士山と日本人 豊かな「富士山学」への誘い』、静岡新聞⑶ 野田麻美「幕末狩野派の史的位置─狩野栄信・養信を中心とする十九世紀江戸狩野派様式の展⑼ 青木茂編『明治日本画史料』、中央公論美術出版、1991年、368~395頁、に翻刻が掲載。⑽ 浦木賢治「江戸狩野派の明治初期の動静について」、『埼玉県立歴史と民俗の博物館紀要』第9〈1940〉)を画期として昭和戦前期に陸続と再生産された「日出処日本」(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)や「耀八紘」(東京国立近代美術館蔵)など横山大観による一連の作品にもつながっていく。その意味において「住吉富士吉野図」は、近代における富士山イメージの嚆矢とも位置づけられよう。⑷ 「江戸城本丸等障壁画絵様総覧」、東京国立博物館編『調査研究報告書 江戸城本丸等障壁画絵⑸ 渡邉裕美子『歌が権力の象徴になるとき 屛風歌・障子歌の世界』(角川叢書50)、角川学芸出⑹ 久住真也『王政復古 天皇と将軍の明治維新』(講談社現代新書)、講談社、2018年、18~33頁。⑺ 『明治天皇紀』第一、吉川弘文館、1968年。⑻ 松島仁「富士山と徳川将軍─狩野派絵画から読み解くイメージの政治学─」、『聚美』第18号、2016年1月(同『権力の肖像 狩野派絵画と天下人』、ブリュッケ、2018年、337~374頁に再掲)。⑾ 前掲注⑽浦木賢治氏論文。 浦木氏はさらに「近世近代以降期の狩野派絵師の動向に関する基礎的研究」(『鹿島美術研究』年報第40号別冊、2023年11月)において、海軍省での勤務を中心に、鍛冶橋家当主の狩野探美守貴の明治期における動向を検証されている。⑿ 佐藤道信「狩野派の終焉」、前掲注⑼史料翻刻集、433~468頁(同『明治国家と近代美術─美⒀ 前掲注⑿佐藤道信氏論文。⒁ 前掲注⑿佐藤道信氏論文。⒂ 前掲注⑼『沿革』。⒃ 狩野友信については、下記の著書に詳細な伝記がまとめられている。 山田久美子『狩野友信 最後の奥絵師、幕末・明治を生きる』、水声社、2021年。⒄ 野呂田純一『幕末・明治の美意識と美術政策』、宮帯出版社、2015年、424~434頁。⒅ 前掲注⑿佐藤道信氏論文。社、2024年、161~213頁。開」、同編『幕末狩野派展』(展覧会図録)、静岡県立美術館、2018年、6~24頁。様《本文篇》』、東京国立博物館、1988年、74頁。版、2011年。号、2015年3月。の政治学─』、吉川弘文館、258~289頁、に再掲)。― 618 ―― 618 ―
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