クションの作例を引き合いに出すことで、その重要性について論じる。Ⅱ─⑴ ペルシア語史書─1611年の記録シャー・アッバース1世は、ヒジュラ暦1020年ジュマーダー第2月末(1611年9月初)に、アルダビールへと進軍し、その後、シャイフ・サフィー廟に自身の陶磁器コレクションを寄進した。この出来事については、シャー・アッバース1世に仕えた占星術師のジャラール・アッ=ディーン・ムナッジム・ヤズディーが、歴史書『アッバースの歴史 ■ā■ī■■■■■■■■ā■ī』に、詳細を記している。以下、最新の校訂本に基づき、訳出を試みる。アリーの敷居の番犬たる殿下[=シャー・アッバース1世]が自らの手を[シャイフ・サフィー廟の食器保管庫 ■■■■■■■■■■ā■■■の]錠にお置きになると、錠は外れ、[この奇跡は、シャー・アッバース1世に対する、アルダビールに住む]人々の信頼が高まる理由となった。そして彼は、とても素晴らしい陶磁器の館 ■■ī■ī■■■ā■■■をお建てになった。アリーの敷居の犬たる殿下[=シャー・アッバース1世]が、神秘主義者たちの枢軸たるお方の敷居[=シャイフ・サフィー廟]に寄進なさった陶磁器 ■■ī■īā■ā■の数の詳細[は、以下の通りである]。アリーの敷居の番犬であり、最も神聖で最も高貴な殿下のしもべ[=シャー・アッバース1世]が、光り輝く神聖な敷居[=シャイフ・サフィー廟]にご寄進になり、当時比類なき存在であったところのホラーサーンの宝石彫刻師マウラーナー・ムハンマドが、寄進銘文をそれらの上にお書きになり、お刻みになったところの陶磁器 ■■ī■īā■ā■であって、[かつ、]陶磁器の館に移送されたものの詳細:[全]1221個。大・小・中の■■■■■■ī 大皿 273点、■ā■ī■■■ 酒盃 45点、■■ 皿 60点、■ī■■■■ 半サイズの皿 25点、■■■■■■■ 小さめの皿 61点、大・小・中の■ā■■■ 深皿 170点、■■■■■■ī 受け皿 206点、■■■ā■■■ 杯95点、ā■■ā■■■ 水注14点、■■■■■■■■■■■■ (?) 赤い(?)水差し 23点、■■■ā■■■■■■■■■■■■■ 大きな細口瓶5点、■■āī 長首瓶 9点、■■■■ 水差し 4点、■■■■ 碗 19 点、■ū■■■ 壺1点、■■■ū 酒壺5点、■■■■■■ā■ 壺32 点、■■■■■■■■ā■ 花(水仙)入れ36点、■ā■■■ 2点、■■■■■■■ 3点、■■■■■■■■■■■■■■■■■■ū■■■■ 大・小の火皿6点、■■■■■■■■ā■ 軟膏入1点、■ā■■■ū■■ 1点、■■■■■■■ā■ ― 621 ―― 621 ―
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