れた「■■ī■īā■ā■」には、この君主が寄進者であることを示す印章型の銘文(あるいは、アラビア文字の「 スィーン」、「■ フェー」「 アイン」から構成されたこの君主が寄進者であることを示す略語)を有している(注15)。Pope(1956)によれば、イラン国立博物館(テヘラン、イラン)とチヒル・ストゥーン宮殿(イスファハーン、イラン)に今日伝わるシャイフ・サフィー廟由来の陶磁器805点のうち、774点にシャー・アッバース1世が寄進者であることを示す印章ないし略語が含まれていて、さらにそのうち、618点が、中国製の青花であるという(注16)。このように、シャー・アッバース1世が1611年に寄進したとされる「陶磁器 ■■ī■īā■ā■」の点数の差異が生じた原因としては、シャイフ・サフィー廟からの動産の流失(注17)、陶磁器が実際に使用されていたことによる消耗および廃棄、あるいは数え方のシステムの違いが考えられる。シャー・アッバース1世によってシャイフ・サフィー廟に寄進された陶磁器および玉器の「その後」については現在レゾネを作成中であり、現時点で筆者は、前述のイラン国立博物館、チヒル・ストゥーン宮殿、ドーハ・イスラーム美術館に加え、アゼルバイジャン博物館(タブリーズ、イラン)(注18)、ジョージア国立博物館(トビリシ、ジョージア)(注19)、出光美術館(東京)(注20)を所蔵先として特定している。Ⅱ─3寄進された青花の裏側に記入された書き込み出光美術館の所蔵する《青花葡萄唐草文輪花皿》(口径43.5cm)は〔図6〕は、明・永楽時代(在位1402-1424年)の景徳鎮官窯に比定される染付磁器である。2019年に同館で開催された「染付─世界に花咲く青のうつわ」展に出陳された本作には、同展の図録によれば、「高台外側にアラビア文字のイニシアルが釘彫りされ朱が塗られ」ているという(注21)。この記述が正しいとすれば、本作は、もともと、シャー・アッバース1世によって1611年にアルダビールのシャイフ・サフィー廟に寄進された1221(もしくは1191)点の陶磁器・玉器の一部をなしていた可能性が高い。本稿を用意する過程で筆者は、《青花葡萄唐草文輪花皿》の高台裏面の露胎部分に、黒インクで、ペルシア語(文字:アラビア文字;字体:ナスタアリーク体)とヒンディー語(文字:デーヴァナーガリー文字)の書き込みが存在することを新たに見出した。この書き込みは、寄進先(おそらくシャイフ・サフィー廟)におけるインスペクション(財産管理及び資産価値評定)の記録であると考えられる。例えば、〔図7〕の太枠で囲った箇所からは、「[ヒジュラ暦]1072年ラビーウ第1月3日」(西暦1661年10月27日に相当)に、本作品の在庫点検が行われたことを示す文言が確認できる。― 623 ―― 623 ―
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