注⑴ 2023年5月および2024年1月に、イマーム・レザー廟図書館・博物館・文書館機構(マシュハ⑵ 2024年1月に、イスラーム美術館(ドーハ)で所蔵品調査を行った。この日付は、前掲の財産目録(1759)よりもおよそ100年前の時点で既に、シャイフ・サフィー廟から動産が流出することを防ぐ試みがなされていた可能性を示している。今後、本作の肉眼観察を通じてこれらの書き込みを全て解読することができれば、シャイフ・サフィー廟内部における財産管理および資産価値評価の方法について、新たな視点を提供し得る可能性がある(注22)。《青花葡萄唐草文輪花皿》に見られるような、インスペクションの記録は、アルズディデ■■ż■■■■■と呼ばれる。これまでのイスラーム美術史研究において、アルズディデは、近世以降の宮廷蔵書・聖者廟蔵書の写本に対し、管財を担当する司書によるインスペクションの都度、記入されるものとして認識されてきた(注23)。例えば、シャー・アッバース1世によってマシュハドのイマーム・レザー廟に1599年に寄進されたクルアーン写本(イマーム・レザー廟付属図書館、inv. no. 6)の最初〔図8〕と最後〔図9〕のフォリオからは、廟内図書館で、1850年6-7月から1924年6-7月までの間に、少なくとも14回の蔵書点検が行われたことを読み取ることができる(注24)。1599年にイマーム・レザー廟に寄進されて以降、このクルアーン写本は、礼拝の際に読誦の対象となることはなく、いわば聖遺物のような役割を果たしていたと考えられる。14回という回数は、イマーム・レザー廟に寄進された写本に対して行われたインスペクションの数としては比較的多く、貴重な聖遺物が廟内から流出することがないよう、細心の注意が払われていたことを看取できる。《青花葡萄唐草文輪花皿》の高台裏面に見られる複数の書き込みは、近世以降のイランにおいて、聖者廟に寄進された中国製陶磁器が高い資産価値を持っていたことを示唆している。アルダビールのシャイフ・サフィー廟に寄進された中国製青花に限っていえば、インスペクションの記録を高台裏面に有する作例はこれまで報告されていない(注25)。今後、中近世に中国からイランに渡り、その後、19世紀後半以降にイランから世界各国の美術館や個人コレクションに散逸した中国陶磁器・玉器の追跡調査が進めば、中国陶磁器や玉器の西アジアにおける受容史について、より深い理解が得られる可能性がある。このことは、中国陶磁器の模倣という側面を持つイスラーム化以降の西アジア陶磁史を理解する上で、重要な第一歩となろう。ド)及びイラン国立博物館(テヘラン)にて所蔵品調査を行った。― 624 ―― 624 ―
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