鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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第10回辻佐保子美術史学振興基金講演会は、2024年4月20日(土)に京都市立芸術大学(C棟1階第1講義室)で開催した。講演題目は「西洋美術の評価と分析を支える前提は何か」であり、逐次通訳を含めて約2時間ご講演いただいた。その後、約30分の質疑応答、約1時間30分の講師との自由な交流の時間をもった。講演内容は、美術作品の評価・分析に際しての最も基本的な情報である「制作年」「タイトル」「作者」の内実の考察が主軸となった。安易な単純化を許さない繊細な議論であったため要約は難しいが、以下、主な論点を挙げる。制作年の決定においては、しばしば画家の手法が単線的に展開することが前提とされるなど、先入観が介入していることは否めない。また、作品の価値を評価する際に、制作年は重要な基準となる。たとえば、1920年代に印象派の様式で描く画家は、美術史学的には問題外である。つまり、既存の様式を乗り越えるのが素晴らしい芸術家であるという価値観のもとで、制作年が作品評価を決定するということである。さらに、年記のない作品について制作年を推定した場合、いずれその推定が他作品の年代検討の参照点になってしまうというトートロジーが発生する。以上のように、制作年という情報は、決して中立的なものではないことが論じられた。タイトルについても注意が必要である。まず、タイトルの歴史について概観された。ヴァザーリなどは、絵の主題と所蔵されている場所によって作品を名指していたが、18世紀から19世紀にかけてカタログが編纂されるようになり、こんにちタイトルと見なされる形式が整えられていった。タイトルによって、ダヴィッド《ホラティウス兄弟の誓い》のごとき新しい主題も可能になった。主題内容を言葉で伝達することができるからである。そして、19世紀には現在のような形でのタイトル付けが確立した。現代美術においては、マルセル・デュシャンの言葉「タブローを完成させる目に見えない顔料」が象徴するように、その重要性が高まり、工夫を凝らしたタイトルが現れ、逆に《無題》というタイトルも頻出する。いまや制作時にタイトルが存在しなかった作品にもタイトルをつける必要があり、近年の美術館では、内容を淡々と記述するようなタイトルを選ぶ傾向にある。しかし、タイトルが鑑賞者の視線を誘導し、ナラティヴな読みを促すこともあることには注意すべきである。たとえば、1765年にウィルがテルボルフ作品の複製版画を制作した際に、《父の訓戒》というタイトルをつけた事例はよく知られている。この版画は好評を博し、ゲーテ『親和力』(1809年)でも取り上げられたが、実際には娼婦宿が主題であることが約30年前から指摘されている。現在、テルボルフの原作の各バージョンを所蔵しているのは、ベルリン国立絵画館、アムステルダム国立美術館、エディンバ― 632 ―― 632 ―

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