は銘文から年代が特定されうるギョレメ地区の他聖堂と同一工房が手掛けたことが明らかにされており、カッパドキアの貴重な基準作例の一つに数えられている。6月17日9:30よりジェミル村ケシュリック修道院アルハンゲル・ミハイル聖堂において3Dモデル作成のための写真撮影を行った。この日は南北のアプシス、ナオスの撮影を完了した。16日夕刻にイタリア人修復家ダニエラ・マーフィー氏、ステファニア・フランチェスキニ氏と合流し、同日正午近くにアンカラ大学ヤシャール=セルチュク・シェネル教授、ベキール・エスキジ教授がアルハンゲル・ミハイル聖堂で直接合流した。17日は彼らの求めに応じて修復計画の立案、および保存状態マッピング用の写真も撮影した。6月18日9:30に宿を発ち、アルハンゲル・ミハイル聖堂で試験的作業の前に、シャヒネフェンディ村にあるセバステの40人殉教者聖堂を視察した。この聖堂もアルハンゲル・ミハイルと同様に13世紀の基準作例である。アルハンゲル・ミハイル聖堂と同様に内部が煤で覆われた状態だったが、2009年~2014年にローマのトゥーシア大学により洗浄作業が行われた。現在は一般公開されていないが、ユルギュップ博物館のトゥンチデミル氏の許可を得て修復後の状態を観察することができた。11:00にネヴシェヒル博物館に出かけたが、それは1997年に行われたというアルハンゲル・ミハイル聖堂の修復作業の具体的な内容を報告書で確認するためである。その結果、1997年の修復は岩窟保存に係る建築の補強作業しか行われていなかったことが判明した。同日14:00にネヴシェヒル修復研究所の研究員ムスタファ・トプテペ氏が今年から配属された新卒生2名を伴い、ドキュメンテーション作業の手助けに来てくれた。この新卒生はアンカラ大の両教授の弟子にあたる。報告者は同修復研究所の要請を受けて、前日にやり残したナルテクスを素材に3Dモデルを構築するための写真撮影やフォトグラメトリに関する「新人研修」を行うことになった。17:30にアヴァノスにおいて、カッパドキア研究で世界的に有名なネヴシェヒル大学のトルガ・ウヤル教授と会談の機会を持つことができた。報告者は現地入りする前にアルハンゲル・ミハイル聖堂に関わる論文(すべて仏語、ウヤル氏の業績も含む)を英語に翻訳し、修復チームのメンバーと共有していたため、会談は自ずと質疑応答の様相となった。ウヤル教授は嫌な顔ひとつせず、むしろ議論を楽しむかのように質問の嵐にも対応してくれた。同学の稀有な友人を持ったことに感謝したい。6月19日には、仮組みした3Dモデルを確認した上で素材写真が不足していると思われるナルテクスと床面の補助撮影を行った。その後、グラフィティの選別作業に入り、6月20日も前日グラフィティの選別作業に充当した。同聖堂に残されたグラフィ― 638 ―― 638 ―
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