鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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4.調査結果4-1.ゴレスタン宮殿博物館収蔵の日本コレクションのリスト化対象作品は、宮殿のSalam Hall (謁見の間)に置かれる大花瓶などの装飾品、Zorouf Gallery (Royal Dishes) の展示ケースに収められた花瓶や皿など、計165点に及ぶ〔図1~4〕。製造地別に分けると、目視で有田焼、九谷焼、薩摩焼が見てとれるが、今回の作業では一点ずつ精査してその由来、スタイルを同定した。作品の一部は底部に銘が記されており、そこから由来を想定することができる。もっとも目立ったのが「肥礫山川嵜造」と記されたもので、明らかに有田の皿山を指している。川嵜窯については今後の有田における調査が必要である。同じ有田では「大日本肥碟山信甫造」との銘も見つかり、こちらは幕末から明治にかけて活躍した有田の陶磁器商田代紋左衛門の肥碟山信甫で今日でもよく知られている窯である。有田では他に「香蘭社」の銘も含まれていた。八代目深川栄左衛門によって1875(明治8)年に合本組織香蘭社として発足したものである。2年前のパリ万国博では展示販売を目的として大量に磁器製品を送り、その質の高さから「老實にして精工を極め」と称賛された銘柄である。興味深いのは「太明成(或)化年製」という名の作品がいくつも混じっていたことである。一見したところ、明朝九代皇帝の成化帝の時期に制作されたかのような印象を抱かせるが、デザイン的に明らかに有田の作風である。当時の職人たちの間で景徳鎮の最盛期とされる成化帝の名にあやかることが流行っていたようであるが、真正の景徳鎮でないことを示すためにあえて大明を「太明」、成化を「或化」と記していたようだ。これらの磁器がなぜゴレスタンに集まったのかは重要な論点である。作品の裏側に貼り付けられたペルシャ語のラベルにはイラン暦1329年(西暦1950年)と記されているが、この年が購入もしくは納入年ということではない。作品そのものに記された銘からみて明治初期と想定できるものが多く、博物館の作品台帳に記載した年代と考えられる。全体として、19世紀後半のガジャール朝ナセロッディン・シャーの時代に集められたと考えるのが妥当であろう。ゴレスタンの日本コレクションを見分した研究者のサイド・バニャミン・ケシャヴァルズによれば、このコレクションは1878年のパリ万国博を訪れたナセロッディン・シャーが日本館で一部の磁器を購入したのが最初で、1880年の日本からペルシャに派遣されたいわゆる吉田使節団、さらにその後にイラン人商人から入手したものと三つのルートがあると見立てている。パリ万国博には香蘭社など26社(名)が出品し― 644 ―― 644 ―

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