鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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③ カール・フリードリヒ・シンケルの様式選択に関する研究─レオ・フォン・クレンツェとの比較から─期   間:2024年1月31日~4月1日(62日間)派 遣 国:ドイツ報 告 者:京都芸術大学 非常勤講師  三 井 麻 央研究の概要と目的本海外派遣は、19世紀ベルリンの新古典主義建築家であるカール・フリードリヒ・シンケル(Karl Friedrich Schinkel, 1781-1841)が建築の様式・装飾を考案するにあたりいかなる選択を行っているのかを、同時代のミュンヘンの建築家レオ・フォン・クレンツェ(Leo von Klenze, 1784-1864)と比較し明らかにするという研究課題のもと、ミュンヘンの中央美術史研究所(Zentralinstitut für Kunstgeschichte)にて2ヶ月間実施された。シンケルは1820年代から国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の命でプロイセン王国の都市計画と公共建築物の設計に携わり、新古典主義様式、ゴシック様式、あるいはそれらの混じり合った建築様式などを用いて多数の設計を行なった。これには18世紀フランスの新古典主義建築家ジャン=ニコラ=ルイ・デュラン(Jean-Nicola-Louis Durand, 1760-1834)が考案したビルディングタイプの思考法や、ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマン(Johann Joachim Winckelmann, 1717-1768)の古代受容などからの影響がうかがえるが、19世紀ドイツ語圏の新古典主義建築は彩色を伴う装飾や壁画などを多用する点において、18世紀フランスおよびドイツ語圏の新古典主義とは異なる。では、19世紀ドイツの新古典主義建築は複数の様式、とりわけ装飾を、いかなる位置づけのもと選択・利用したのか。これまで報告者はシンケルやプロイセン王国の例を中心にこの問題について研究してきたが、シンケルに並ぶ新古典主義の代表的な建築家で国王ルートヴィヒ1世のもとバイエルン王国の建築を多く設計したクレンツェは、フランス、またプロイセン王国のそれとも異なる理念、作風をもつため、かねてより調査の必要性を感じていた。それゆえ、ミュンヘンの実例も踏まえた上で多角的にドイツ新古典主義建築を検討できる今回の海外派遣は絶好の機会であった。滞在中、とりわけ資料収集や作品の実見は次の3点に焦点を当て実施した。(1)シンケル、クレンツェの様式の選択と使い分けに関する資料収集― 648 ―― 648 ―

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