(2)18世紀から19世紀に至る新古典主義の装飾理論の検討(3) シンケル、クレンツェ以降の世代における、他都市との影響関係も踏まえた資料・標 題:Die Stilwahl Karl Friedrich Schinkels im Vergleich zu Leo Von Klenze・期 日:2024年2月21日(水)12:00-13:00・参加者: 約10名[イリス・ラウターバッハ教授(Dr. Iris Lauterbach)、エスター・ピア・ヴィップラー教授(Dr. Esther Pia Wipfler)、ドミニク・ブラバント研究所副所長(Dr. Dominik Brabant)、ほか研究所フェロー、一般参加者など]収集このうち(1)(2)に関してはいずれも主にミュンヘン市内で、(3)に関してはミュンヘン市内およびハンブルク、パリにて実施した。以下で活動地別に詳述する。ミュンヘンでの調査研究活動このたび受入機関として研究活動を行なった中央美術史研究所は、クレンツェが19世紀に設計した古代彫刻館・グリュプトテーク(Glyptothek)が位置するケーニヒス広場(Königsplatz)のすぐ東側に位置する。研究所では世界各国から訪れたフェローとともにオフィスで各自の研究活動を進めるほか、所内の図書館、写真コレクションのフォトテーク(Photothek)が利用可能であった。美術史関連の文献で国内屈指の充実度を誇る図書館では、上記(1)~(3)に関する資料を何不自由なく得ることができた。また、フォトテークでは戦災によって損壊を受ける以前のグリュプトテークの壁画を写したカラー写真のデータを閲覧・取得した(Joseph Eschenlohr旧蔵品カラースライドコレクションより)。同研究所は世界各国の機関からゲストを招いての講演会や展覧会を精力的に開催している。そのため派遣期間中にはほぼ毎週、美術史にまつわる研究発表やアーティストトークに参加し、美術史研究の最新の動向に触れる機会に恵まれた。報告者もまた、滞在期間中に以下のワークショップを実施し、自身の研究課題に関するプレゼンテーションを行った。本ワークショップでは、18世紀におけるヴィンケルマンの装飾に関する理念を説明したのち、ヴィンケルマンの新古典主義を受け継がなかったようにみられる19世紀の建築家らの実例を取り上げ、その展開を論じた。具体的には、ベルリンのシンケルに― 649 ―― 649 ―
元のページ ../index.html#665