鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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よる旧博物館やシャルロッテンブルクの建築から、その後の世代であるフリードリヒ・アウグスト・シュテューラー(Friedrich August Stüler, 1800-1865)の新博物館における館内の建築装飾へ、そしてミュンヘンのクレンツェによるグリュプトテーク、アルテ・ピナコテークから、建築家フリードリヒ・フォン・ゲルトナー(Friedrich von Gärtner, 1791-1847)と画家ヴィルヘルム・フォン・カウルバッハ(Wilhelm von Kaulbach, 1805-1874)のノイエ・ピナコテークに至るまでの展開における装飾の利用に関してである。質疑応答の際には、受入教官であるイリス・ラウターバッハ教授を始めとする先生方やフェローの面々と議論を交わし、参照しておくべき建築や文献など、これまでに知ることのなかった情報も得られるなど、今後の研究への多大なる示唆と激励をいただいた。研究所外においても、元ミュンヘン工科大学教授でクレンツェ研究の第一人者であるヴィンフリート・ネルディンガー氏との面会の機会を得、氏からはクレンツェと色彩の利用、装飾に関するご助言を賜った。ミュンヘン市内では先述のグリュプトテークのほか、プロピュレーエン(Propyläen)、アルテ・ピナコテーク(Alte Pinakothek)、ルーメスハレ(Ruhmeshalle)、モノプテロス(Monopteros)、レジデンツ(Residenz München)、ルートヴィヒ教会(Ludwigskirche)等クレンツェによる建築、その他多数の18世紀から20世紀にかけての建築を実見した。クレンツェは古代の建築装飾が、外壁というよりもむしろ、柱廊の天井部分や屋根の中央部など、部分的かつ限定的な箇所になされたととらえていた。そのため自身の実践においても、書籍に掲載されている建築の外観写真には写らないような箇所に彩色や装飾の施された例が多い。このたびの調査ではこのような、文献資料でこれまで確認することのできなかった部分の装飾について調査することが叶い、大きな収穫となった。とりわけ、ミュンヘン市内の英国庭園内に位置するモノプテロスはクレンツェが最初に多彩色を用いたと称する建造物であるが、ここでは主に丸天井の内側に非常に柔らかな色彩が用いられる。それはシンケルが好んで用いたポンペイ風の鮮やかな赤、青の色彩とは異なる参照源をもっており、クレンツェの穏やかな色彩感覚が表現されている様を見受けられた。さらに、現在シャック・コレクション(Sammlung Schack)で展示されているクレンツェの油彩画《アテネのアクロポリスとアレオパゴスの理想的光景》(1846、ノイエ・ピナコテーク蔵)を実見したが、これもクレンツェの装飾観を知る上で不可欠の作品である。古のアクロポリスを描いたこの作品は、クレンツェの考える古典古代の彩色建築を伴う風景画である。しかしながら、その麓の広場に描かれている人物群は― 650 ―― 650 ―

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