さらに、ミュンヘンのノイエ・ピナコテークにかつて存在したカウルバッハによる壁画と構図が酷似した天井画がルーヴル美術館に存在することは以前よりわかっていたものの、場所や制作者などの詳細が不明であったため、情報収集のためパリへ赴き、ルーヴル美術館、パリ装飾美術館(Musée des Arts Décoratifs)を中心とした現地調査を行った[期間:2024年3月14日(木)~18日(月)]。同天井画に関しては、これまでルーヴル側がノイエ・ピナコテークに影響を与えたと仮定していたが、実際に作品調査を行うと、ノイエ・ピナコテークの壁画が先(1850年代)、ルーヴルが後(1860年代)に制作されたことが判明した。公共建築の装飾はフランスやイタリアからの影響を受けながら、19世紀にドイツで独自の展開を見せたが、それらが翻って19世紀後半のフランスに「逆輸入」された可能性も考えられる。ハンブルクとパリでは、シンケル、クレンツェ以後の建築家や画家によってもたらされた都市間の影響関係を看取できたため、これを今後の研究にも繋げたい。結果と今後の課題ミュンヘンでは研究対象となる建築群を日々目にしながら滞在し、また、ハンブルクやパリの作例も踏まえながら充実した資料収集と研究活動を行うことが叶った。また、中世から現代に至る多様な研究テーマを持った研究所のフェローや研究員との日々のディスカッション、ゲストの研究発表を耳にすることで、これまで主に検討してきた19世紀の建築様式、装飾を一層広いパースペクティヴのもと捉えられるようになったことは、本滞在におけるまたとない収穫であった。今後は、ミュンヘン国立図書館のアーカイヴに所蔵のクレンツェによるスケッチブックのデータやクレンツェ自身が記した遺稿など、今回得られた膨大な資料の整理や読解を進めるほか、ルーヴル美術館とノイエ・ピナコテーク、つまりパリとミュンヘンの関係性についての検討も進めたい。それらの成果を取りまとめ、学会発表や論文投稿で積極的に公表することを今後の課題とする。本海外派遣にあたり、推薦者となってくださった東京藝術大学の佐藤直樹先生、また、立命館大学の仲間裕子先生、中央美術史研究所のイリス・ラウターバッハ先生に多大なるご支援とご助言を賜りました。また派遣期間中にはヴィンフリート・ネルディンガー先生をはじめ多くの方々にご助言をいただきました。末筆ながらここに記し篤く御礼申し上げます。― 652 ―― 652 ―
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