⑥ 近代日本洋画の白色絵具顔料研究はじめに油絵にとって白色絵具は最も多く用いられる重要な絵具である。19世紀半ばに至るまで油絵の白といえばシルバーホワイト(鉛白、以下シルバー白)のみであった。シルバー白は理想的な油性塗料となるが有害であり、代替となる白色顔料が模索されるようになった。まず、19世紀に登場したのがジンクホワイト(亜鉛華、以下ジンク白)であった。毒性がなく、どの色と混色しても変色を起こさないという点においてシルバー白の欠点を克服するものであった。だが、隠蔽力が弱いこと、厚塗りをすると乾きが遅く亀裂を生じやすいという欠点があり、シルバー白の代替物とはなり得なかった。20世紀に入って第三の白、チタニウムホワイト(二酸化チタン、以下チタン白)が登場した。毒性はなく、隠蔽力はシルバー白、ジンク白をはるかにしのぐという強力な白であった。だが、シルバー白のような魅力的な塗膜を形成せず、強力な白色度ゆえにどの色と混ぜてもパステルカラーのようにしてしまうことから画家からも研究者からも注目されなかったように思われる。ところが、いつの間にかチタン白は確固たる地位を占めるようになっている。研究書によるとこの白の使用は1920年以降であるという(注1)。油絵作品の光学調査を重ねるうち、日本では1930年代後半くらいから使われ出したのではないかという漠然たる印象を持った。本研究で第三の白の日本における普及について明確化できればと考える。1.チタンおよびチタニウムホワイトの開発の流れチタン元素の発見は18世紀末であったが、19世紀間には金属チタン、酸化チタンの経済的な製法の研究は進まなかった。それは、チタンが単体金属として取り出すことが困難であったためである(注2)。酸化チタンの研究開発はノルウェーとアメリカで同時期に起こった。両国が大規模なチタン鉄鉱(イルメナイト、FeTiO3)の鉱床を有していたためで、鉄資源としての可能性を探るものであった。20世紀に入ると戦争において近代兵器が導入されるようになる。鉄の需要が高まり、チタン鉄鉱から鉄を分離することが当初の目的であったと思われる。その途上で顔料を作る方法が考案され、1918年までにはノルウェーで工業生産が開始された。これがチタン白顔料工業の起源とされている。クロノスという商標の顔料は二酸化チタンを硫酸バリウムに沈─日本におけるチタニウムホワイトの普及について─研 究 者:東京藝術大学 非常勤講師 作 間 美智子― 54 ―― 54 ―
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