鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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neoklassizistische Architekt Dekorationen für seine Werke, die eine enge Verbindung zur Industrialisierung und die technische Revolution schlugen. Die Architekturdekorationen wurden in diesem Sinn im Museum von Schinkel oder Stüler gestaltet. Auch in München gab es dieses Phänomen. Münchner Künstler wie Klenze und Kaulbach verwendeten verschiedene Arten von Dekorationen, wie in Berlin. Ich bin jetzt am Ende meines Referates angekommen und stehe Ihnen gerne für Fragen und Diskussionen Beiträge zur Verfügung. Vielen Dank für Ihre Aufmerksamkeit.ワークショップ(全文・日本語訳)「カール・フリードリヒ・シンケルの様式選択に関する研究 ─レオ・フォン・クレンツェとの比較から─」ご紹介いただきありがとうございました。このワークショップでは、自身の研究テーマ「カール・フリードリヒ・シンケルの様式選択に関する研究─レオ・フォン・クレンツェとの比較から─」について、前半ではこれまでの研究を、後半は現在の研究を中心にお話しします。まず概要を説明します。私の研究は建築の装飾に関するもので、装飾論や、修辞学を扱った理論的な研究と、建築史・美術史研究といった二つの観点をもとに進められます。そのため、最初に18世紀の新古典主義、ヴィンケルマンの装飾論がどのようなものであったかを前提として整理します。次に19世紀の建築家による装飾の利用について、建築史的、美術史的な資料や研究に基づいて論じます。とりわけ、19世紀にベルリンで建設されたカール・フリードリヒ・シンケルの旧博物館とフリードリヒ・アウグスト・シュテューラーの新博物館を例として扱います。さらに、ここミュンヘンで取り組んでいる研究から、建築家レオ・フォン・クレンツェの建築や画家ヴィルヘルム・フォン・カウルバッハの壁画について、ベルリンとミュンヘンを比較しつつ考察します。18世紀と19世紀の新古典主義では、装飾論に大きな違いがありました。よく知られるように、19世紀の建築家における新古典主義様式の利用は、ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマンによる『ギリシャ芸術模倣論(■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■)』(1756)での古代ギリシャ・ローマ愛好がひとつの契機をもたらします。ヴィンケルマンは『模倣論』において主― 659 ―― 659 ―

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