に彫刻芸術について語り、装飾を忌避する態度を示しつつ「高貴なる単純と静謐なる偉大(注1)」という言葉で古代ギリシャ彫刻を賛美しました。その時点でもウィトルウィウスを引きながらバロック、ロココ時代の装飾を批判していますが、その6年後、1762年に著した『古代の建築芸術についての注釈(■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■)』では、とりわけ建築の構造や様式について具体例を示しながら語ります。とりわけ、第2部全体が装飾に関する記述に割かれました。ここでは古代からバロック、ロココに至るまでの建築がいかなる装飾を持っていたか、次のように説明されます。[…]のちの時代、人ははじめてローマの言葉Zierlichkeitを、理性の産物と関連づけて解釈した。次いで真に善い趣味(Geschmack)が衰退し、本質よりも見かけが求められたので、人は飾りをもはや付加物とはみなさなくなり、これまで空いていたままだった空間がそれで満たされるようになった。こうして建築における小さきもの(Kleinlichkeit)が発生した(注2)。ここでヴィンケルマンの論に特徴的なこととして読み取れるのは、建築にとっての構造や素材、形態が「本質(Wesentliche)」と呼び表されるのに対して、装飾は「小さいもの・些細なもの」を示す"Zierlichkeit"という語が用いられ、加えて「身体」に対する「衣服」、「単純さ・単一性」に対する「多様性」、「本質」に対する「見かけ」といった表現で、二項対立的に装飾の劣位が強調されることでした。この時点ですでにヴィンケルマンは、自らが賞賛する古代の建築にも鮮やかな彩色がなされていたことを知っており、紹介しています。18世紀末から建築家らは古代建築の色彩を検証するため、実際にローマやギリシャを訪れ始めます。ゴットフリート・ゼンパーもそのうちの一人で、ギリシャでの実測調査の成果をカール・フリードリヒ・シンケルに共有しました。そして、18世紀の新古典主義とは対照的に、19世紀の建築家たちは古代風の装飾を彼らの作品の中で使用します。それゆえに、18世紀と19世紀の新古典主義には明白な違いがあるといえます。19世紀の建築家における歴史様式や装飾の利用についてさらに理解すべく、まずはベルリンの新古典主義建築家カール・フリードリヒ・シンケルに着目します。シンケルは1830年に開館した王立博物館(のちの旧博物館)のため、新古典主義建築のファサードに色彩豊かな壁画を自ら構想し、ナザレ派の画家ペーター・フォン・コルネリウスがフレスコで完成させました。そのフレスコ画は、神々の世界から人間の世界へ― 660 ―― 660 ―
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