鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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注⑴ Baldassari, Anne(ed.), ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■, Exh. Cat.(Paris, ⑷ Amic, Sylvain et Virginie Perdrisot-Cassan, ■■■■■■■■■■■■■ʼ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■, Exh. Cat.(Rouen, le musée des Beaux-Arts), Paris, Éditions ARTLYS, 2017 ; Borchardt-Hume, Achim(ed.), ■■■■■■■■1932■■■■■■■■■■■■■■■■■■, The EY Exhibition, London, Tate Modern, 2018. Fondation Louis Vuitton, 2016-2017), Paris, Gallimard, 2017. ⑵ Rubin, William(ed.), “■■■■■■■■■■■”■■■■20■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■, Exh. Cat.(New York, The Museum of Modern Art, 1984-1985), New York, The Museum of Modern Art, 1984, vol. 1(ウィリアム・ルービン編、吉田憲司ほか監修『20世紀美術におけるプリミティヴィズム:「部族的」なるものと「モダン」なるものとの親縁性』1巻、淡交社、1995年)⑶ Widmaier Picasso, Olivier, ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■, Paris, Ramsay, 2002 ; Madeline, Laurence, ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ʼ■■■■■■■■■■■■, Condé-en-Normandie, Scala, 2022.切られたような思いがしたのだった〔図3〕。1910年代後半は違ったのだろうか。周知のように、ポール・ローザンベールの画廊はその隣の21番にあった〔図4〕。第一次大戦の勃発とともに、スイスに難を逃れたカーンワイラーから乗り替えざるを得なかった有名な画商である。同画廊の存在はピカソが好きな作品と自作品を交換したり、ルノワールといった画廊の所蔵作品から刺激を受けたりするなど、クラシック・スタイルの形成に大きな霊感源となった。今回は、マドリードからパリへ、祖国スペインから第二の母国フランスへの短期調査旅行でしかなかった。しかし、そこで改めて痛感したのは、ピカソが生きた時代のフランス文化の厚くて深い重層性である。スペインはピカソを生んだが、ピカソを育てたのはフランスであった。ピカソの作品は過去のものとして歴史に組み込まれたのか、それとも今なおその現代性を輝かし続けているのだろうか。― 687 ―― 687 ―

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