鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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住していた修道士2人が老齢のため(存命であれは90歳代)いなくなったか死亡したため、修道士が聖堂を管理する聖母下僕会派(Servi di Maria)から派遣されなくなってやむなく閉鎖されていることを、2001~03年時のイタリア側の調査協力者Chiara Rigoni(元ヴェネト地方美術文化財監督局勤務の研究者)とSergio Marinelliヴェネツィア大学名誉教授から直接聞き、鍵の在りかをむなしく探索した。日本もそうだが、イタリアも修道士志願の若者が激減していて、今後閉鎖される聖堂が増えるものと思われる。そうなったときに聖堂内の美術文化財の保護管理は難儀な局面に直面することとなろう。そこで、そのほかの聖堂で確認すべき壁画や市立美術館に収蔵された板絵および剥離された壁画を調査した。上記の諸聖堂にある壁画については、1996年にパリ-ヴェローナで開催されたピサネッロ生誕600年記念展覧会の折に、ほぼ修復後にすべてが刊行された(注3)。その刊行書掲載の図版、および報告者による2001~03年の科学研究費補助金基盤研究(B)(2)[海外学術調査]の調査時に撮影した写真と比較しながら、実見調査した。その結果、サン・ジョヴァンニ・イン・ヴァッレ聖堂正面の柱廊式小玄関上部アーチに描かれたジョヴァンニ・バディーレの手に帰しうる《聖母子と聖アントニウスと聖バルトロマイ》とアーチ下面の《神の子羊、2聖人》は戸外にあるため、剥落劣化が著しく、近い将来消滅する危険がある(現状の写真は撮影)。これ以外は、週末以外は閉められているエルベの聖堂とサン・ピエトロ・マルティレ聖堂がやや不安だが、それも含めほかの壁画は堂内にあって通風換気されているため、壁画面に記された記名もはっきり判読できるくらい良好である。ただし、壁から剥がされて聖堂に設置された壁画断片の設置場所が2001~03年の科研調査以後に、かなり変えられていることを確認した。主なものでは、サン・フェルモ・マッジョーレ聖堂のステーファノ・ダ・ヴェローナの壁画断片《(消失したキリスト洗礼に立ち会う)2天使》は、本来壁画があった位置よりさらに上部に移動され、またサン・タナスタージア聖堂の身廊交差部右壁にあったジョヴァンニ・バディーレの手に帰しうる断片《聖ピエトロ・マルティレと2天使》は、交差部左にあるCappella Giusti内の後陣に向かって左側壁の高い位置に移され、目視での様式的な作者認知は困難となった。このほかヴェローナの古文書館で、1816年ナポレオン支配時のヴェローナ古地図を複写し、15世紀から16世紀のバディーレ画家一門の古文書資料から判明する一門の工房および住居のあったサンタ・チェチリア地区を同地図に確認するとともに、同地区とその小通りが現在も残ることを踏査で跡づけた。一門が、サン・タナスタージア聖― 691 ―― 691 ―

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