鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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3.作品の分析からこれまでに調査した1920年以降の作品の蛍光X線分析(注31)によるチタン白絵具の検出結果を一覧表にした〔表1〕。調査作品点数が画家によってばらつきがあることから統計的に分布をみることはできないが、画家別にチタン白の使用の傾向をみることはできる。1. 岡田三郎助・長谷川利行の場合 おそらく最も早くチタン白を使用した少数の画家である。岡田は絵具に対する旺盛な探究心から新しい白を試したと思われる。『少女読書』1924年〔図1〕は、夏の日差しのまぶしさをチタン白の強い白で表現している。岡田のチタン白使用は恣意的で、ジンクのみ検出された作品が続く。基本の白はジンク白であると思われる。ヨーロッパ出張時の作品およびその後の作品にチタン白の使用がみられ、現地で調達した可能性もある。佐賀県立美術館所蔵のパレットの分析からもチタンとジンクが検出されている。長谷川もまた初期にチタン白を使用していた。だが、天城俊彦から絵具の提供を受けた頃の調査作品からはチタンは検出されなかった。2. 藤島武二・梅原龍三郎・南薫造の場合 戦争の影響で白が不足したのを契機にチタンを使い始め、その後はパレットに加えた画家達。特に梅原は晩年のパレットの分析からもチタンが検出されている。南は1931年のパレット調査ではシルバー白とジンク白を挙げていたが、アトリエに残る絵具の白はチタン白とジンク白であった。ほとんどが国産絵具であり、有名画家であっても戦中戦後は舶来絵具を潤沢に使えたわけではないことがわかる。3. 松本竣介の場合 1935年の『建物』からはチタンは検出されず、それ以降の調査作品からはすべてチタンが検出された。配給で仕方なくというよりは、選択的に使ったと思わざるを得ない。松本の作品は下層に白色でマチエールを作って透明色をグレーズしているイメージが強い。松本が好んだプルシアンブルーは強い着色力を持ち、上に塗った絵具の色調を食ってしまうということから狼色と言われる絵具であるが、強い着色力を持つチタン白と混色することで望んだ色調を得られたのであろう。『立てる像』1941年〔図2〕では背景の空にチタン白とプルシアンブルーを用いている。その明るい空にぽっかり浮かぶ雲や襟の白はシルバー白であった。松本の作品からは三種類の白が検出されることが多く、これらを巧みに使いこなしている。4. 岡鹿之助・山下新太郎の場合 絵具の組成に詳しくチタン白の長所も認識し推奨していたが、自らは使わなかった。岡は既成のキャンバスの上にジンク白を塗り、― 59 ―― 59 ―

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