せる花の形は《牡丹図》(吹田市蔵)に似て10枚程度の花弁を開くが、本図では開き切った1枚を左に描いており、《牡丹図》(吹田市蔵)とは逆である。その右側に蕾を向き合わせて両者のバランスに配慮している。さらにもう一株が左へ湾曲し蕾を描く点も《牡丹図》(吹田市蔵)に共通しているが、ただしこちらも一枚の開いた花弁が《牡丹図》(吹田市蔵)とは逆になっている。蕾は薄紅色で花弁と直下の葉(苞)には細く輪郭線を引いている。天へ延びる枝についても本紙の高さと幅の比率が異なるためか、中央寄りに一本となっている。技法は《牡丹図》(吹田市蔵)と同様に枝葉を付け立てで描く一方で、蕾や花の周りに《牡丹図》(吹田市蔵)よりも輪郭線を明確に用いている。《牡丹図》(吹田市蔵)に比べ明瞭な着色だが、色調は淡く、同様の明るい柔和さがある。本作も年記による制作年の手がかりはない。款印は《牡丹図》(吹田市蔵)と同様の組み合わせ、すなわち署名「孔寅」、印章「長山」(朱文円印)である。長山孔寅筆《牡丹図》〔図3〕《棲鸞園画帖》(一帖 縦44.2×横35.0cm 天明7年(1787) サントリー美術館蔵)の一図(絹本着色 縦36.5×横28.6cm)本図は《棲鸞園画帖》と題した15図内の一図である。跋文には「梅隠川民和」の名が記され、大坂を拠点とした画人の合川珉和(生没年不詳)がこの画帖を編んだという指摘がある。孔寅のほか、松村景文、上田公長、円山応挙(1733~1795)、森狙仙(1747~1821)、森徹山(1775~1841)、谷文晁(1763~1841)ら京や大坂、江戸という各地の画派を問わない小品ながら選りすぐりの優品が収められ、同時代の画壇を端的に示す資料としても注目すべきであり、木村蒹葭堂(1736~1802)の養嗣子である木村石居の図が第3図に収められ、編者「梅隠川民和」は蒹葭堂のネットワークに近い人物だった。(注7)さて本作第8図に収められた孔寅の牡丹図だが、白く開く大輪の牡丹と薄紅色の蕾という取り合わせは《牡丹図》(個人蔵)と同じでありながら、枝葉とともに画帖の形状に合わせてうまく円形に収めている。やはり《牡丹図》(個人蔵)のように花弁や蕾とその周りには細い輪郭線を引くが、そのほかは付け立ての技法を用いている。《牡丹図》(吹田市蔵)、《牡丹図》(個人蔵)は掛軸であり、縦の構図では白い大輪がやや天を仰ぐ方向だが、画帖仕立ての本図では正面を向き、こちらの視線を引きつける。着色は同じ絹本の《牡丹図》(個人蔵)に近い明瞭さがある。しかしながら、葉の中央(主脈)に青みの強い緑の鮮やかな線を足している点が《牡丹図》(吹田市蔵)、― 66 ―― 66 ―
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