鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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《牡丹図》(個人蔵)と異なり、本図の特徴である。冒頭に挙げた『古画備考』によれば「見其牡丹服紗唐紙大直幅清澹可観矣」とあり、孔寅が服紗に描いた牡丹図もあったようで、ほぼ正方形にまとめられた本図のような構図だろうと想像する。本図に年記はないが、画帖の跋文に天明7年(1787)とある。天明7年(1787)以前の牡丹図とすれば、この頃の孔寅は呉春門下にいたため、孔寅の画業としては比較的早い時期の牡丹図となる。ただし画帖には狩野晴川院養信(1796~1846)のように天明7年(1787)以降の画人による図が存在するため、孔寅の制作時期を断言することはできない(注8)。なお、孔寅の牡丹を称えた『古画備考』を記した朝岡興禎は養信の弟である。本図の款印は《牡丹図》(吹田市蔵)、《牡丹図》(個人蔵)と同様の組み合わせ、署名「孔寅」、印章「長山」(朱文円印)である。このほか、縦の構図で描かれる《牡丹図》(吹田市蔵)、《牡丹図》(個人蔵)に類似する牡丹図では、『秋田の画人』(秋田魁新報社、1973年)24頁に掲載される作品名のほか制作年など詳細不明のものがある。縦の構図からして形態は掛軸であろう。単色ながら図版を参考にすれば主に付け立ての技法を用い、枝葉が絡み合っているため正確ではないがおそらく二株の牡丹を描いている。《牡丹図》(個人蔵)と同様に地面を描かず、ただし左から枝が伸びる構図だが、ほぼ同じ大きさの花弁を開いた二輪が確認でき、そのうち一輪は花芯を見せている。その下には蕾が一つあるように見え、かなり淡く描かれた枝葉を彩っている。また、部分的に牡丹を描いた作品も存在する。紹介のみとなるが、人物との組み合わせでは《牡丹と童子図》(天保14年(1843)、個人蔵)(注9)、《麻姑図》(制作年不詳、個人蔵)(注10)がある。さらに《怡顔帖》(弘化2年(1845)、堺市博物館蔵)内の一図に《牡丹図》があり、これは81歳で描いた牡丹図ということがわかっている(注11)。一方、《四季花鳥図巻》(制作年不詳、泉屋博古館蔵)は春夏巻、秋冬巻、鳥類巻の三巻からなる絵巻であり、春夏巻の中盤と秋冬巻の巻末に牡丹を描いている(注12)。これまで孔寅が描く牡丹図の例を確認してきた。調査が及ばない作品もあるが、大別すれば、牡丹の立ち姿を単独で描いた図、または、組み合わせや画題の一連としての図ということになる。前者は、大輪を冠した一株あるいは二株の屈曲した細い枝と青々した葉を、主に付け立てを用いて描き、さらに《牡丹図》(吹田市蔵)、《牡丹図》― 67 ―― 67 ―

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