鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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つを表情豊かに描き分けるのが一般的である。『芥子園画伝』は与謝蕪村(1716~1784)や田能村竹田(1777~1835)など江戸時代後期の文人らに影響を与えたとされる中国の画論だが、葉の描き方の項目においては「草花の葉は柔嫩であるので、裏返った葉をまじえるとよい。(中略)しかし葉に裏表前後があるのは当然の理であるから、やはり裏返った葉も用いなければいけない。」(注13)という記述があり、呉春の草花表現においてもそうである。しかしながら孔寅が描く牡丹図は、枝は屈曲こそしているもののたわみはほとんどなく、葉は全て表を見せている。葉は三枚を一組としてほとんど同じ形を繰り返すように描いている。《牡丹図》(《棲鸞園画帖》の一図、サントリー美術館蔵)では、葉はやや動的に描かれるが、枝は構図のために丸く湾曲しているだけで風を感じるものではない。孔寅の牡丹図は静的である。この静的な表現に類似するものとして『牡丹名寄』(貞享5年(1688)刊、名古屋市蓬左文庫蔵)という古典籍がある。上下巻からなる版本であり、牡丹の専門書としては日本最古とされる(注14)。品種名を列挙し、その全てではないが各品種の特徴を短文で記してあり、さらに各5図、全10図の牡丹図が挿入さている〔図5〕。本書の牡丹図は、概ね地面を表現する草などを描き、二株の牡丹が描かれ、一株には二輪、もう一株に一輪の花(あるいは蕾)を冠しており、《牡丹図》(吹田市蔵)との類似性が強い。花は明確な描き分けがあるものの、枝ぶりは小差であり、葉はパターン化されている。獅子や岩を加えて絵画的に見せようとする図もあるが、品種を紹介する図鑑的な性質が強く、花も枝葉にも動的な要素はない。孔寅が本書を参考とした可能性は低いが、江戸時代に牡丹栽培が庶民に広がり、濃艶でドラマチックな姿ではない、自然そのままの素朴さを描く孔寅の牡丹が、そのような文化的背景もあって評価されていたと考えられないだろうか。4.まとめ本研究では様々な画派の無数の画人が活躍した近世大坂において、長山孔寅の画歴のうち、牡丹図に注目した。調査がかなわなかった作品もあるが、牡丹の立ち姿を描いた図を主として、長山孔寅の牡丹表現をある程度網羅して取り上げた。繰り返しとなるが、孔寅作品には牡丹を単独で描いた図が複数例あることが確認できた。花の色や形に差異があるものの、その構図はいずれも類似しており、一株あるいは二株の屈曲した枝に大輪を冠した牡丹の姿を描いていた。枝葉には付け立ての技法を用い、花とその周りには輪郭線を引いていた。この孔寅が描く牡丹図は枝葉を揺らさず極めて静的であり、富貴のシンボルとして艶やかで動的に描かれてきた牡丹図とは一線を画― 69 ―― 69 ―

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