鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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注⑴ 田中敏雄「長山孔寅の研究─伝記と款印─」『藝術文化研究 第21号』大阪芸術大学大学⑵ 同上、34頁。⑶ ・井上隆明「茂佐彦と孔寅」『出羽路 第50号』秋田県文化財保護協会、1973年、37頁。 ・『秋田の画人』秋田魁新報社、1973年、23~24頁。⑷ ・田中敏雄「長山孔寅の研究─伝記と款印─」『藝術文化研究 第21号』大阪芸術大学大学⑸ 田中敏雄「長山孔寅の研究─作品について─」『藝術文化研究 第23号』大阪芸術大学大⑹ 中西家の旧蔵品については『大庄屋 中西家名品展』(吹田市立博物館、2012年)が詳しい。⑺ 池田芙美「近世京都・大坂画壇における芸術家交流─「棲鸞園画帖」を中心に」『開館50周年記念 サントリー美術館研究紀要 第1号』(サントリー美術館、2012年、61~73頁。同書によれば「書画帖」(文化12年(1815)頃、宇和島伊達文化保存会蔵)にも孔寅筆の作品が存在する。⑻ 同上、69頁。⑼ 『上方界隈、絵師済々Ⅱ』中之島香雪美術館、2021年、43頁。⑽ 同上、46頁。⑾ 田中敏雄「長山孔寅の研究─伝記と款印─」『藝術文化研究 第21号』大阪芸術大学大学していた。孔寅の牡丹図は『古画備考』における評価のほか、柴田是真による模写も存在することから、同時代の興味に値するものであった。明確な年記は81歳で描いた《牡丹図》(《怡顔帖》の一図、堺市博物館蔵)に限られ、このほかでは跋文をたよりにすれば最も早い例では《牡丹図》(《棲鸞園画帖》の一図、サントリー美術館蔵)が天明7年(1787)筆となるが、前述のとおり確かではない。また、《牡丹図》(吹田市蔵)が天保10年(1839)、75歳までに描かれた。牡丹図は一般的な画題であるため呉春門下時代から生涯を通じて描いたと想像するが、《牡丹図》(吹田市蔵)や《牡丹図》(個人蔵)、あるいは柴田是真が模写した《粉本 孔寅写 牡丹》(東京都江戸東京博物館蔵)のように、掛軸として単独の牡丹図を描くのは孔寅という画人としても牡丹の名手としても評価を集めた晩年に多いのではないだろうか。いまは推測の域を出ないが、今後、大坂画壇研究がより進み、さらに数多くの孔寅作品が明らかとなり、特徴的な牡丹図の成立時期が検討されることを期待する。本研究において作品の調査及び図版の掲載等にあたり多くの方にご協力をいただいた。心より感謝を申し上げる。院芸術研究科、2017年、16頁。院芸術研究科、2017年、15~30頁。 ・田中敏雄「長山孔寅の研究─作品について─」『藝術文化研究 第23号』大阪芸術大学大学院芸術研究科、2019年、33~50頁。学院芸術研究科、2019年、35頁。― 70 ―― 70 ―

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