⑧ 17世紀オランダの版画における手彩色の実相研 究 者:筑波大学大学院 人間総合科学学術院 博士後期課程はじめに現存する17世紀オランダの版画の大多数は単色であるが、少数ながら多色のものもあり、それらは大半が手彩色されている。元来西洋版画はほとんどが彩色されていたが(注1)、デューラーは刻線の密度の差によって豊かな陰影を表現することに成功し、版画に色彩を用いなくなった。エラスムスは、色彩に頼らないデューラーの版画を称賛するとともに、彩色することは作品を傷つけるとし(注2)、その主張は17世紀後半のオランダで繰り返された(注3)。このような版画に対する彩色を忌避する考えは、19世紀のパブリック・コレクションにおいても支持され、彩色版画から色を取り除くこともあったとされる(注4)。こうして近世の彩色版画は、版画史研究において長きにわたり等閑に付されてきたが、20世紀の第4四半世紀以降、徐々に研究の俎上に載せられるようになり、現在では再評価されつつある(注5)。近年の研究によれば、版画における色彩を過小評価する考えは、実際には支配的な影響力をもたず、多くの版画が彩色されたが、絵画の廉価な代替品として壁に掛けられたため、ほとんどが失われてしまったという(注6)。では版画に対する彩色は、版画を絵画化し、代用する意味しかもたなかったのだろうか。保井亜弓氏は、北方初期版画における多色化は、絵画と関係してはいるものの、単に絵画の代用ないしは模倣として求められたとは必ずしもいえず、より積極的な意味が見出される場合があると述べている(注7)。またヘルキュレス・セーヘルスの彩色エッチングについては、例えば種々の先駆的な版画技法を併用している点に、版表現特有の効果に対する彼の執着を看取しうると、すでに拙論で指摘している(注8)。以上を踏まえて本稿では、17世紀オランダの版画彩色の目的について、とくに専業の版画彩色師に焦点を当てて再考したい。そこでまず、版画彩色師が署名した作例を挙げ、特定の版画彩色師による彩色は、その彩色自体に価値があったことを確認する。その上で、銅版画による地図が実用性の観点から彩色されたことと、それらとともに地図帳に収められた単独の版画も同じく彩色されたことについて検討する。そして、少なくとも17世紀オランダの版画に対する彩色は、版画を絵画の代用とみなすことよりも、むしろ版画そのものの質を高める手段のひとつとして多色化が選択される場合― 74 ―― 74 ― 村 井 弘 夢
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