研 究 者: 美術館「えき」KYOTO 学芸員 神戸大学大学院 人文学研究科 博士課程後期課程 三 宅 礼 夏はじめに東京府養正館(以下養正館)は、昭和9年(1934)に前年の皇太子継宮明仁(現上皇)の誕生を奉祝する記念事業として建設が計画された。この施設は「小国民の精神修養道場」として、研修のための図書室、講堂、道場などからなる複合施設であり、そのうち本館2階部分は国史絵画館と呼ばれ、神代から現代までの日本の歴史を描いた「国史絵画」78点が陳列されていた。現在は神宮徴古館に全点収蔵されている国史絵画78点の画題については、当時の尋常小学校用歴史教科書との類似が指摘されている(注1)。国史絵画が教育目的で制作されているために児童の歴史教育に即した内容となっていると考えられるが、本稿では、この教科書との共通点とその理由をより明確にすることを目的とする。そこで、まずはこのような目的を持った施設及び絵画制作が計画された背景を探り、つぎに、画題が当時の歴史教育を反映している根拠を示すため、養正館の施設調査委員として国史絵画制作に画題選定の段階から関わり、かつ画題選定当時に使用されていた第3期の国定教科書歴史科目『尋常小学国史』の編纂を行った藤岡継平に着目した。そして、藤岡の教科書編纂方針を中心に大正~昭和10年頃までの歴史教育の変化を踏まえつつ、教科書の内容と比較することで、国史絵画の画題の特徴を明らかにし、昭和10年代の歴史教育を象徴する視覚教材としての側面を考察する。それにより、明治から昭和にかけての歴史画や、国内の壁画史(注2)の中における国史絵画の立場と社会的役割を再考する一助としたい。1,養正館の成立背景と施設の役割養正館の成立と国史絵画の制作過程については、澤田佳三氏によっておおよその経緯が明らかにされている(注3)。小国民の精神修養道場(養正館)の建設計画は昭和9年2月23日に可決し、同年3月7日には藤岡継平を含む施設調査委員13名が指名された。この13名は澤田氏が指摘するように、歴史学者、教育学者、思想家が多く、専門分野の偏りが見られる(注4)。このうち、三上参次、正木直彦、和田英作は養正館の先例とされる聖徳記念絵画館の委員も務めており、これらの顔ぶれから、かな⑨ 東京府養正館の国史絵画について─画題選定と歴史教科書との関連─― 84 ―― 84 ―
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