鹿島美術研究 年報第42号別冊(2025)
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1 .2024年(2023年度助成)Ⅰ.「美術に関する調査研究の助成」研究報告① ティムール朝ヘラート派絵画再考─昆虫モチーフに関する考察を中心に─研 究 者:早稲田大学大学院 文学研究科 博士後期課程  本 間 美 紀1 .ティムール朝ヘラート派絵画の概要と中国絵画からの影響ティムール朝(1370-1507年)ヘラート派とは、ティムール朝期の画派の一つである(注 1 )。15世紀にティムールの息子シャー・ルフ(1377-1447年)によって創設され、その息子でティムールの孫にあたるバーイスングル(1397-1433年)のもとで発展した。ヘラートは、現在のアフガニスタン東部に位置する都市で、ヘラート派は15世紀前半はバーイスングル、15世紀後半にはフサイン・バイカラ(1438-1506年)をパトロンとして繁栄し、16世紀にウズベク族に略奪されるまで絵画制作を続けた。当画派の形成にあたっては、ティムールやシャー・ルフが征服地から芸術家を連行したため、バグダード、タブリーズ、シーラーズ等、様々な写本挿絵の影響が見られる。最終的にはティムール朝期後半や、サファヴィー朝、ムガル朝でも模倣されるに至る、一種の古典的な様式を形成したと指摘される。一方、明(1367-1644年)と直接交流があり、中国絵画との直接的な関わりがあった点も、ティムール朝ヘラートの特徴である(注 2 )。ティムール朝ヘラート派画家ギヤースッディーン・ナッカーシュが、遣明使の一員としてヘラートと北京間を往復(1419-1422年)し、その道中の記録を残している(注 3 )。15世紀以前においても、中国絵画からの影響が指摘された作例はあるが、それらは当画派との関連性で言えば、イル・ハーン朝期にペルシアに渡った中国美術を介した、間接的な関わりである。ティムール朝初期は、明との友好的な外交関係で、両王朝下における公的な使節の往来と民間交流によって、多くの中国美術が西アジアにもたらされた。中国美術の中でも絵画に絞れば、そうした交流の痕跡を見出せるペルシア絵画資料は、主に 4 冊の『サライ・アルバム』(トプカプ宮殿図書館 H. 2152-2154, H. 2160)と 5 冊の『ディーツ・アルバム』(ベルリン国立図書館 Diez A, Fols. 70-74)が挙げられ(注 4 )、本稿で扱う作例もこれらのアルバム所収の作例が中心となる。テ ィ ム ー ル 朝 期 を 中 心 と し た 中 国 絵 画 か ら の 影 響 を 考 察 し た 先 行 研 究 は、― 1 ―― 1 ―

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