鹿島美術研究 年報第42号別冊(2025)
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― 351 ―― 351 ―1  女性作家たちの美術団体戦後、女性作家たちによって結成された美術団体として、1947年に結成された女流画家協会がよく知られているが、1950年代以降も女性による美術団体の発足が相次いだ。これまでの女性作家研究において、美術団体の全国的な広がりについてはあまり指摘されてこなかった(注 2 )。設立年や参加作家の世代構成はまちまちであるが、各会の設立の経緯や同時代の批評を見るに、女性作家たちが抱えていた状況や問題意識は共通する部分が多い。この時期の美術団体、展覧会のうち代表的なものを、以下に列挙する。1956年 新女性作家集団(北海道) 参加者:竹岡羊子ほか1956年 女流版画会 参加者:吉田千鶴子、南桂子、内間俊子ほか1958年 女流写真家協会展 参加者:常盤とよ子、今井壽恵ほか1961年 神奈川県女流美術家協会 参加者:江見絹子、森川ユキエほか1968年 女流秀作美術展 参加者:小倉遊亀、三岸節子ほか1974年 九州女流画家展 参加者:田部光子、大黒愛子ほか1977年 沖縄女流美術家協会 参加者:久場とよ、山元文子ほかここでは 1960年代以降に結成された団体を中心に詳細を見ていきたい。江見絹子は、神奈川県女流美術家協会の結成時を「画家が育っていく過程で初期の発表は地方展である場合が多い。この会が女流画家を育てるための礎石になるという意向は、この第一回展から次第に色を濃くしていく」と振り返る。一方で、当時すでに「男ばかりの中央展で長年やって来た」、つまり行動美術協会展において評価を確立していた江見は「家庭を全世界として生きる女性達は[中略]家族以外に対する驚く程徹底した無関心につながり、ひいては大局を見定めにくい近視的視野に陥ることがある」(注 3 )と会員たちを評価し、途中から研究会を発足させている。画家仲間とともに九州女流画家展を発足した田部光子は、その意義について( 1 )幹部がほとんど男性である一般の美術団体の中で女性たちは不利な環境にあるため、女性たちが自由にのびのびと創作できる環境をつくること、( 2 )結婚や育児などで制作から離れた際に、女性同士で互いに激励し、制作の張りをつくることをあげている(注 4 )。田部は毎年 1 回の展覧会以外にも、会員の技術向上のための勉強会を開催し、若手育成のための公募企画を行うなど、女性たちの活躍の場をつくることに尽力した。九州女流画家展は第12回を最後に解散しており、中心的人物であった田部自

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