鹿島美術研究 年報第42号別冊(2025)
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な版画が国際的な潮流として盛んになりつつあることを認識するに至ったと考えられる。そしてこの文脈に沿い、《芸苑朝華》においては、魯迅が民衆文化の象徴とされる創作版画や挿絵、装飾画といった「版画」を中心的に取り上げていると見られよう。このように、中国において版画の民衆への効果的な普及という視点から魯迅編『蕗谷虹児画選』を見ると、二つの特徴が浮かび上がってくる。第一の特徴は、魯迅は虹児のモダンな詩画表現のうち、畳語や列叙を用いた平易で詠いやすい小曲、童謡、散文詩に合わせて、背景描写を控えて余白を大きく取り、白黒の強いコントラストで装飾的な効果を生み出した、視覚的に読み取りやすい作品を多く選んでいる点である。例えば『蕗谷虹児画選』に収録された第 2 □「旅の兄人─小曲─」〔表 1−②〕は、若い女性が「兄人」への思慕を語る内容である。サハリンの吹雪の町で孤独に暮らす兄の姿が、雲間を流れる月とともに彼女の脳裏に浮かび、遠く離れた兄の消息を□でしか知ることができない不安や、月夜に沈む少女の切ない心情が詩の内容から伝わってくる。魯迅は「兄人」を「郎」と訳し、中国古典詩に見られる女性の思慕の情景を重ねている。また、虹児の七五調の歌謡を五言の漢詩に訳している。魯迅が創作した現存の3 首の五言絶句(注 23)と比較すると、「固然是風説,聞郎在俄疆,念及身世事,中懐生悲凉」および「固然是風説,竟成漂泊人,也進酒場去,呼酒開寒樽」の部分は、いずれも「仄仄平平仄,平平仄仄平。平平平仄仄,仄仄仄平平」という同一の韻律構成に則っており、五言絶句の形式美や音楽的美が一貫して保たれていることが確認できる。これもまた、原詩の音楽性を巧みに再現している。さらに、「月」や「雲」といった漢詩の伝統的イメージに、「□哈連」や「漂泊人」などの語を組み合わせることで、古典的な郷愁に近代的な疎外感を加味させている。この詩の背景には、虹児自身の経歴とも重なる要素がある。彼は幼くして母を亡くし、父との不和から、1917年よりおよそ 2 年半にわたり、旅絵師として樺太を漂浪することとなった。父との確執や恋愛の経験、異郷での生活は、旅人の孤独や異郷の哀愁といったテーマを彼の芸術に深く刻み込んだ。絵には黒髪の青年がフリルの服に煙草と酒を添え、伏し目がちな表情と柔らかな手元が気だるさを漂わせる。濃い線が孤独をにじませ、詩の「兄人」と重なる。青年の後ろから半分の顔を覗かせた少女は顎に手を添えて見上げ、軽やかな白描で青年と対照的に描かれている。少女は詩の語り手であり、「兄人」の郷愁の表象でもある。画― 488 ―― 488 ―

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