鹿島美術研究 年報第42号別冊(2025)
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伝』の版を重ねるごとに伝聞である意味合いを失い、帝国ホテルが大震災で無傷であったという神話の第一リソースとなっていた(注13)。2023年秋、帝国ホテル150周年を記念してライト財団が発行する季刊誌上で組まれた帝国ホテルの特集でも、ライトの考案した構造が本当に神話通りだったのか検証されようとしているが(注 14)、日本では「虚妄に近かろう伝説」とまで表現されている(注15)。ライトの考案した構造は、鉄筋を背筋してコンクリートを打ち込む前に石材や煉瓦を外周に積み上げ、それよってできた空□にコンクリートを打ち込むことで鉄筋を被覆し、石や煉瓦を壁と一体化する。基礎は 20〜30m 以上ヘドロが堆積する敷地の軟弱地面に対して、ベタ基礎ではなく浮杭工法に分類され、土中に 1.5m ほどの木杭を打ち込み、杭を引き抜いた穴のなかにコンクリートを流し込んでつくった。震災後、また解体の際にも帝国ホテルの構造調査をした内藤多仲はライトのアイデアを讃えながらも、下記のように述べている。「幸い著しい被害はなさそうに見えた。当時われわれはあらゆる建築について被害調査をしたが、あの孔雀の間の中央塔屋の部分がおよそ60センチも沈下したことであった。柱はすこぶる貧弱で小さく、大体 4 本の鉄筋しか入っていない。上下に不連続なものもある。外壁下は連続基礎で、内部はフーチング基礎。次の強震には耐えられないように見えた」 内藤多仲「帝国ホテルの建築構造」『帝国ホテル 1921-1967』 鹿島研究所出版会,1968年,p. 14.皮肉にも基礎の脆弱性が帝国ホテル解体の要因となったようだ。また、設計チームのひとり、土浦亀城によれば、ライトが東京滞在中にすでに不同沈下は始まっていた(注 16)。沈下は宴会場がある東棟は西棟よりも 2 倍ほど重さがあったことが原因で、戦後には 1m ほど沈下し、左右翼部分が著しく沈下して窓を菱形に歪め、床版はたわみ机に安心してコップを置くこともできなくなっていたという(注 17)。さらに地下室に設計されたプールは浸水し、開室されることがなかった。倒壊しなかったことが無傷までになってしまったことに飛躍を感じる。確かな画期性:建材技術と建築産業の育成むしろ、耐震面よりも耐火面が効果的で後に影響があった技術革新ではないか。犬丸徹三の回想録によると、地震直前、帝国ホテルの支配人室で午後に開かれる開業披露の準備を進めていた。激動を感じるや否や料理場に駆け込み、すぐさま変電室のメ― 501 ―― 501 ―

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