架け橋』ぺりかん社、2002年。朴美姫「近世における日韓絵画交流の研究─狩野梅笑筆『牡丹流水図』(韓国・国立古宮博物館蔵)を中心に」『鹿島美術財団年報』第 31号、鹿島美術財団、2013年。また、韓国・国立中央博物館に所蔵されている贈朝屏風に関しては、以下を参照。□美娟「国立中央博物館所蔵 通信使受贈日本金屏風考察」『美術資料』第91号、国立中央博物館、2017年。□美娟「韓国国立中央博物館所蔵 通信使受贈 日本金屏風の考察」第 71回美術史学会全国大会要旨、美術史学会、2018年。五十嵐公一「鎮西八郎図屏風(韓国国立中央博物館)のつくられ方」『日本美術のつくられ方』羽鳥書店、2020年。⑷ 崎山健文「資料紹介「御屏風下絵写」」『黎明館調査研究報告』第 34号、鹿児島県歴史資料センター黎明館、2022年。⑸ □摩藩の玉里島津家に、幕府の外交用贈答品である贈朝屛風の下絵写(「御屏風下絵写」)が所蔵されるようになった背景には、島津家と将軍家の婚姻関係による両家の緊密な関係性、ならびに琉球王国を統括していたという政治的事情があると考えられる。詳しくは、以下の文献を参照。JUNG MIYEON, “Depictions of □□□□□□ □□□□□□ □□□□ □□□□□ on Folding Screens Gifted to Korea in Early Modern Times: The Formation of Japanʼ s Overseas Image Seen in the Production of Folding Screens Presented to Korean Embassies in 1711 and 1811” □□□□□□□□□□□□□ □□□ □□□□ □□□□□□□□□□□□□□ □□□□□□□□□□□ □□□ □□□□□□□□ □□□□□□□ 68, Tokyo: THE TOHO GAKKAI, 2024。また、「玉里島津家資料」に関しては、以下の文献を参照。新福大建「島津重豪関係資料とその所蔵先」『島津重豪と□摩の学問・文化』(『アジア遊学』第190号)勉誠出版、2015年。⑹ 文化度贈朝屏風十双の画題と筆者については、前掲注⑷および〔表 1 〕を参照。⑺ 市古貞次 [ ほか ] 校注「清盛息女」『源平盛衰記』巻二、三弥井書店、1991年、p. 39, 43。底本は内閣文庫蔵の慶長古活字版による。⑻ 林春斎編「九十五代 後醍醐天皇」『日本王代一覧』巻之六、村上勘兵衛、寛文 3 年(1663)、早稲田大学図書館蔵。⑼ 「南葵文庫」の蔵書は、大正 13年(1924)の関東大震災で焼失した東京帝国大学附属図書館に寄贈されており、『文化八年賜朝鮮国王御屏風図考』も、震災後に東京大学総合図書館の蔵書となったものと推定される。⑽ 斎藤正雄「江戸幕府と和学講談所−「和学御用」をめぐって」『温故叢誌』第 54号、温故学会、2000年、p. 43。⑾ 大川茂雄・南茂樹共編「屋代弘賢」『國學者傳記集成』國本出版社、1934年、p. 1059。⑿ 今出川兼季編著『啄木御伝授記』元亨 2 年(1322)、宮内庁書陵部蔵。所功「『光格天皇御琵琶始之図』に関する覚書」『モラロジー研究─倫理道徳研究フォーラム』第 85号、モラロジー道徳教育財団・道徳科学研究所、2020年、p. 28。⒀ 「秘曲伝授」とは、「模」を打ち込み、「伝授」という儀式を通過しなければ演奏してはならない特定の楽曲の演奏権を掌握する、楽道家による専有的な行為であり、そこには何某かの礼物が伴って成立するものであるという(磯水絵「琵琶秘曲伝授作法の成立と背景」『東洋音楽研究』第48号、東洋音楽学会、1983年、pp. 6〜7 )。⒁ 「佐竹本」の模本の中で現存最古のものは、田中訥言(1767〜1823)が寛政 6 年(1794)に写した写本(個人蔵)であり、この訥言写本は、土佐派の模本に基づいている可能性が指摘されている(井並林太郎「総論 佐竹本三十六歌仙絵」『流転 100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美』日本経済新聞社、2019年、p. 15)。歌仙絵は、江戸時代に土佐派、住吉家、狩野派によっ― 603 ―― 603 ―
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