業で財を成した林原一郎(1908〜1961)が岡山城の二の丸屋敷跡を敷地として購入し、現在にまで公開を続ける一般財団法人である。その敷地購入の際には旧岡山藩の蔵も付随していたことから、そこに納められていた岡山藩藩主・池田家所蔵の書画も一括して収蔵される。いまだその価値が見出されていない作品も少なくなく、本調査では岡山藩の御用絵師であった長谷川常時養辰(?〜1726)、長谷川常雄如辰(大隈傳竹・1703?〜57)父子らの作品を観覧した。東北画人の研究において、なぜ岡山藩の御用絵師かと不思議に思われるかもしれないが、実はこの養辰常時は仙台市博物館に所蔵される仙台藩主・伊達家歴代の肖像画を描いた「伊達家歴代画真」を享保 9 年(1724)に手掛けている。仙台藩五代藩主・伊達吉村と岡山藩三代藩主・池田継政の間には交流があり、吉村の次女・村子はそのもとに嫁いでいる。それは享保 7 年(1722)のことであり、その頃の宴席において養辰常時が席画を披露しているなど、岡山藩の絵師でありながらも仙台藩との関わりは深かった。この養辰常時は、幕府奥絵師であった木□町狩野家二代当主・狩野常信(1636〜1713)の四天王と呼ばれ、同じくその一人であった弘前藩の御用絵師・新井寒竹(?〜1731)もしばしば伊達吉村の宴席に招かれた。それゆえ彼らの活動からは、ひとつの藩にとらわれない御用絵師の実態を知ることができ、それぞれはその重要な証言者だと認められる。長谷川家初代・養辰常時および二代・如辰常雄は弘前藩や仙台藩とも関わりがあるため、それぞれの藩を理解するうえで重要な画家とみなし、養辰は「祝儀図」「継政公和歌図巻」の 2 点、常雄は「百羽鶴図」「人物図」「歌仙図帖」「新六歌仙図帖」「池田継政像」「尭舜像」「三故事図」「祝旦図」「児島八景図巻」の 9 点、三代・恒岳常宇は「学古図帖」 1 点の計12点について調査を行った。彼らの作品についてはこれまでほとんど注目されてこなかったことから、本研究においては東北の画人とともに、その実態を明らかにする予定である。以上の観覧を行う以前の 6 月下旬には、岩手県一関市に所在する一関市博物館を訪れた。同館が所蔵する「観音堂文書」は、磐井郡流郷峠村(現・一関市花泉町老松)の観音堂屋敷に「施無異堂」を開き、医療診断と医学教育を行った千葉理安(1783〜1820)に端を発する一括資料である。絵画に関する資料も含まれており、仙台藩に仕えた東東洋(1755〜1839)やその門人である伊藤東駿(?〜1839)、同じく花泉日形の医者・小野寺東鵞(1783〜1838)が手がけた作品の模写作が認められる。そこには理安の長男であった良俊(1811〜83)、その子の胤茂(1838〜58)の名が記され、この千葉家における東東洋一門の絵画受容を知ることできる資料となっている。東東洋には東寅や東莱といった息子の存在は知られるものの、東北の地における門人の活躍― 701 ―― 701 ―
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