ボストン美術館は、日本国外において最も大規模かつ包括的な日本美術コレクションを誇る。現在、所蔵品は10万点以上を数え、縄文時代から現代にいたる各時代の作品、あらゆるジャンルに及んでいる。これらは、主として19世紀後半から20世紀初頭にかけて形成され、その中心的役割を果たしたのはエドワード・シルベスター・モース、アーネスト・フランシスコ・フェノロサ、およびウィリアム・スタージス・ビゲローという先見の明ある3人のボストニアン、そして日本から渡米し彼らの同僚となった岡倉覚三(天心)であった。その後、何世代にもわたって当館の学芸員とコレクターは、「西洋社会に向けて日本美術の歴史を明示し、日米間の文化的外交官の役割を担う」コレクションという、当初からの理念を掲げ続けている。 ボストン美術館では、膨大な数の所蔵品に対し学芸員の人数があまりに限られているために、岡倉覚三が1905年に定めた評価が、その後90年近くにわたり館内で参照され続けてきた。1990年に当館のアジア美術部が設立百周年を迎えた時点でも、部内には学芸用の作品資料ファイルは存在しておらず、個々の作品写真もほとんどなかった。所蔵品に対する外部からのアクセスも厳しく制限され、それらに関する研究報告も、大半が館内の学芸員から発表されるに留まっていた。 こうした状況のなか、1991年、鹿島美術財団の支援によって絵画・彫刻・工芸分野の所蔵品に対する調査研究がかつてない規模で開始されることとなり、ボストン美術館の日本美術コレクションは新たな局面を迎えた。以後、13年間にわたって、辻惟雄氏を中心とする総勢25名を超える日本の研究者たちがボストンを訪れ、筆者をはじめとする美術館スタッフと共同して所蔵品の悉皆調査を継続してきた。保存用調書)についても当館の修復スタッフと協議を年)に玉蟲敏子氏、水墨画(1993年)は福島恒徳氏の個々の調書は日米それぞれのチームにより和文・英文の双方でまとめられ、コンディションノート(作品重ねつつ記録していった。写真撮影は、開始当初の白黒フィルムから次第にデジタルカメラへと移行しつつも、保存状態に問題があるものを除いた全作品を網羅している。 次に、鹿島プロジェクトによる所蔵品調査の経過を述べておきたい。第1期は、仏教美術の調査から開始された。仏画(1991〜92年)は泉武夫氏が主導し、須藤弘敏氏が分担した。仏具(1991〜92年)は関根俊一氏、仏像(1992年)は水野敬三郎氏、袈裟・横被協力のもと島尾新氏が主導し、初期狩野派(1995年)は辻惟雄氏と山本英男氏が担った。仮面類(1994年)は田邉三郎助氏が担当し、当館の工芸品の情報に厚みを加えるものとなった。 第2期は、膨大な数の肉筆浮世絵(1996〜97年)から開始した。辻氏と小林忠氏を中心に、浅野秀剛氏、内藤正人氏、ティモシー・クラーク氏が参加している。いわゆる「奇想の絵師」である曾我蕭白と伊藤若冲の調査(1997年)は、辻氏および伊藤紫織氏が主導した。近代絵画コレクション(1998年)は佐藤道信氏と高階秀爾氏が担当し、近世狩野派(1998〜99年)は、河野元昭氏、河合正朝氏、□原悟氏、木村重圭氏、安村敏信氏によって2年がかりで調査された。 第3期の調査は2000年から始まり、円山四条派に、河野氏、木村氏、田島達也氏が加わった。近世諸派の絵画(洋風画、南蘋派、南画等)(2000年)は、河野氏、佐藤康宏氏、成澤勝嗣氏が担当した。そして、本プロジェクトの最終年である2003年に向け、能装束とアン・ニシムラ・モース2(1994年)は長崎巌氏が担当した。琳派と土佐派(1993(2000年)は佐々木丞平氏および佐々木正子氏を中心日本美術オープンアクセスの基盤形成ボストン美術館と鹿島美術財団による共同調査の30年
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