(2- I -167)(2- I -166)(2- I -159)(2- I -164)(2- I -165)IX 江戸時代狩野派 Later Kano School Paintings狩野雅信(1823〜80)Kano Shōsen’in Tadanobu江戸時代 19世紀前〜中期掛幅一幅 絹本墨画・金泥印)、「伊川院法印筆」「玄賞齋」(朱文方印)、「蔦勝川藤原雅信筆」「雅信」(白文方印)が蔦を描き加えた作品。一見、寄合書のように見えるが、養信が法印になった天保4年(1833)には、栄信はすでに没している。そうだとすると、栄信の落款の位置に疑問が残る。江戸時代 19世紀前期巻子二巻 絹本著色⑴漢画巻Copies of paintings by Chinese masters狩野栄信Kano Isen’in Naganobu[落款]「伊川院法印藤原榮信筆」[印章]「法印」(朱文方印)「藤原榮信」(白文方印)⑵和画巻Copies of paintings by Japanese masters狩野養信Kano Seisen’in Osanobu法眼養信筆」を描き、□宗・李龍眠・李安忠・徐煕・馬遠など原典(原本筆者)の名を記入し、捺印する。二十四図が収められている。⑵は後鳥羽院・信実・金岡・実朝・光長など日本の画家の作品を縮図模写する。二十五図が収められている。御用絵師の職分としての古典模写の一例。探幽以降の伝統である。狩野養信Kano Seisen’in Osanobu江戸時代 19世紀前半掛幅一幅 絹本著色161.162.163.164.165.和漢流書手鑑図巻Copies of paintings by Chinese and Japanese masters寿老図Shoulao (Jurō), God of Longevity各112.7×48.5㎝⑴11.4211⑵11.4210, Fenollosa-Weld Collection11.6481, William Sturgis Bigelow Collection王閣 右山水 伊川院法印榮信筆」、蓋裏に「佐渡守源朝臣聴信識「柳沢」(朱文方印)「聴信」(朱文方印)」とある。蓋裏に長文の銘あり。文政元年(1818)10月26日、津軽侯邸において栄信が描いた旨、柳沢佐渡守聴信が記す。[所見]狩野派による倣夏明遠の作品の一例。すやり霞に用いた代用金泥が茶褐色に変色しているなど、顔料上等のものとはいえず。有名な夏明遠の膝王閣図を想起するための資料であろう。伊川院正筆とするには疑問の意見もある。箱書の由緒を信ずれば、原本の模本との交換の可能性も考慮されよう。141番「楼閣山水図」(11.4212〜11.4214)との比較によって技量、描法などの差がわかる。伝狩野栄信Attributed to:Kano Isen’in Naganobu江戸時代 19世紀前期掛幅二幅 絹本著色[落款]各幅に「伊川榮信筆」[印章]各幅に「狩野」(朱文方印)[その他]箱書あり。[所見]絵はなかなかしっかりしているが癖の強い落款なり。薄墨の落款を濃い墨でなぞってある。印格もあまり高くなし。朱が点々になっているため、書印説もあり。伝狩野栄信Attributed to: Kano Isen’in Naganobu江戸時代 19世紀前期掛幅一幅 絹本著色絵直径39.1㎝[賛]柴野栗山「「⃞」(関防印、朱文楕円印)天然妖艶不須粧 枚帯微風満壁香 恰似玉真新出浴 華清春月立軽涼 栗山柴彦「柴邦彦印」(白文方印)「柴氏彦輔」(白文方印)」。このほか「鉄研外史」(白文重郭方印)あり。[その他]箱書あり(合せ箱)。[所見]絵の上に栗山の賛(別絹)を合装せり。無落款にて伊川のアトリビュートは画風によるものなるべし。絵は一応よくできている。但し賛に問題あり。狩野栄信Kano Isen’in Naganobu狩野養信(1796〜1846)Kano Seisen’in Osanobu[落款・印章]「晴川院法印養信筆」「狩野」(朱文方内円[所見]栄信の「墨竹図」にあとから養信が雀を、雅信[落款]「晴川法眼藤原養信筆」[印章]「養信」(朱文方印)[その他]蓋表「和漢流書二巻 伊川院法印榮信筆/晴川[所見]⑴は絹本を団扇形あるいは色紙形に区割し、図110.0×41.5㎝11.6471, William Sturgis Bigelow Collection165.8×90.1㎝34.3×928.7㎝11.6486, William Sturgis Bigelow Collection34.4×928.7㎝11.6487, William Sturgis Bigelow Collection185牡丹図Peonies牡丹図Peonies竹雀図Sparrows and Bamboo
元のページ ../index.html#193