(2- I -183)(2- I -184)(2- I -185)(2- I -351)(2- I -180)(2- I -181)(2- I -182)178.179.180.富士筑波図屛風*Mount Fuji and Mount Tsukuba山水図Landscapes; Waterfall張騫・山水図Zhang Xian (Chōken), a Daoist Immortal; Landscapes181.182.183.184.八仙図Eight Daoist Immortals鶴図Cranes源氏物語図(絵合)The Picture Contest (E-awase) from the Tale of Genji倣常信婦女図Parody of the Four Accomplishments, after Kano Tsunenobu⑴155.8×374.2㎝⑵156.0×376.0㎝⑴11.4344⑵11.4345, Fenollosa-Weld Collection各105.4×40.0㎝⑴11.6667⑵11.6666⑶11.6665, William Sturgis Bigelow Collection各99.0×35.3㎝⑴11.4340⑵11.4339⑶11.4338, Fenollosa-Weld Collection止から長門の林武一の所蔵であったことがわかる。狩野雅信Kano Shōsen’in Tadanobu江戸時代 19世紀後半掛幅三幅 絹本著色[落款]各幅に「中務□勝川院法印雅信筆」[印章]⑴⑶「尚古」(関防印、朱文瓢形印)「藤原雅信」(白文方印)⑵「尚古」(関防印、朱文瓢形印)「勝川院法印」(朱文方印)「藤原」(白文方印)[所見]中幅は鍾離権と韓湘子(?)、右幅は蝦蟇仙、張果老、曹国舅(?)、左幅は鉄拐仙、呂洞賓、何仙姑(?)を描くもののようである。女仙を2人含む通常の八仙人とは異なっている。落款形式から見ても公用絵の典型的作品で、型を踏襲する。狩野雅信Kano Shōsen’in Tadanobu江戸時代 19世紀後半掛幅一幅 絹本墨画著色[落款]「勝川法眼雅信筆」[印章]「雅信」(白文方印)[所見]すっきりした作品なり。尾形光琳筆「鶴図」(心遠館コレクション蔵)およびその模写と比較して興味深し。狩野雅信Kano Shōsen’in Tadanobu江戸時代 19世紀後半掛幅一幅 紙本著色[落款]「勝川法眼筆」[印章]「雅信」(白文方印)[所見]『源氏物語』絵合の帖から、3月中旬藤壺の御前で行われた絵合の情景を描いたものと思われる。光信・光吉など、伝統的な土佐系画家の選ばなかった場面で、源氏絵に対する雅信の新しい解釈を示している。但し巻止には「勝川法眼御所后之図」とあるのみである。各154.9×85.3㎝⑴11.4343⑵11.4342⑶11.4341, Fenollosa-Weld Collection108.3×43.6㎝11.4346, Fenollosa-Weld Collection31.8×52.3㎝13.590, William Sturgis Bigelow Collection狩野雅信(1823〜1880)Kano Shōsen’in Tadanobu江戸時代 19世紀後半六曲一双 紙本金地墨画[落款]各隻に「中務□勝川院法印藤原雅信筆」[印章]各隻に「無声詩」(白文長方印)「勝川院法印」(朱文方印)[その他]紙継ぎは四紙。[所見]金地に墨で描く。勝川院の大作として重視したい。狩野雅信Kano Shōsen’in Tadanobu江戸時代 19世紀後半掛幅三幅 絹本墨画淡彩[落款]各幅に「勝川院法印筆」[印章]各幅に「雅信」(朱文壺印)[所見]三幅対山水図の典型的な公用絵である。探幽様の枠内で理解される。狩野雅信Kano Shōsen’in Tadanobu江戸時代 安政6年(1859)掛幅三幅 絹本著色[落款]各幅に「勝川法眼筆」[印章]各幅に「法眼」(朱文方内円印)[その他]箱蓋表に「安政六己未七月調之 狩野勝川法眼 三幅對」との墨書がある。[所見]左右幅の「山水図」の樹木の描写形式や全体の構図形式などは、狩野正信様といえよう。あるいは関東水墨画に倣うかとも思われる。張騫図としては「VIII 初期狩野派・桃山諸派」22番伝狩野元信筆「張騫図」(11.6562)が知られている。この図像は164番「和漢流書手鑑図巻」のうち狩野栄信「漢画巻」(11.6486)にある。描写に破綻がなく、勝川院の優品と認められる。巻188
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