ボストン美術館 日本美術総合調査図録 解説篇
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(2- I -250)(2- I -252)(2- I -253)(2- I -247)(2- I -248)(2- I -249)247.248.249.前後赤壁図The Former and Latter Odes on the Red Cliff布袋唐子図Budai (Hotei) and Chinese Children萱草に蟷螂図Lillies and Praying Mantis250.251.252.菊慈童図Kikujidō, the Chrysanthemum Boy四睡図The Four Sleepers蓮白鷺図Egret and Lotus35.3×46.1㎝11.6603, William Sturgis Bigelow Collection各101.4×35.5㎝⑴11.6590⑵11.6589, William Sturgis Bigelow Collection[所見]細かい皴法の描写は19世紀の作を示すため、一溪重良の男の良信ではなく、狩野梅信の養子となった良35.3×46.1㎝11.4229, Fenollosa-Weld Collection48.7×31.2㎝11.4192, Fenollosa-Weld Collection信・惟信はこれを玉楽に擬定している。様式的には室町江戸時代 19世紀中期掛幅一幅 絹本著色[落款]「泰山院法眼藤原貞信筆」[印章]「貞信」(朱文鼎印)[その他]箱書あり。狩野寛静良信(1785〜1827)Kano Kansei Yoshinobu江戸時代 19世紀前期掛幅二幅 絹本著色[落款]各幅に「良信齋」[印章]各幅に「(不明)」(白文方印)信に擬定するが確証なし。伝狩野長信(1577〜1654)Formerly attributed to: Kano Naganobu江戸時代 17世紀前半掛幅一幅 紙本墨画著色[その他]箱蓋表に「布袋唐子遊之図 古休白筆」、蓋裏に「榮信誌「伊川法眼」(朱文方印)」とある。[所見]長信のアトリビューシヨンは無理なり。画格あまり高くなし。作り物ではないものの、問題の残る作なり。伝狩野玉燕(1683〜1743)Attributed to: Kano Gyokuen Suenobu江戸時代 18世紀前半掛幅一幅 紙本著色[印章]「孝信」(朱文方印)[その他]「玉樂筆萱草之絵極 萱草之絵致一覧候処玉樂正筆二而候畢 榮川院 未四月八日 典信(花押)」との極書あり。他に養川惟信の書状が付属する。[所見]ボストン美術館のカードには印章を「季信」と読んで玉燕季信にアトリビュートしている。しかし、典198128.6×55.6㎝11.6566, William Sturgis Bigelow Collection31.0×48.1㎝11.4231, Fenollosa-Weld Collection96.6×34.0㎝11.4373, Fenollosa-Weld Collection時代の作品だが、描写、印章とも疑わしい点が少なくない。狩野永信(1816〜80)Kano Gyokuen Naganobu江戸時代 19世紀前期掛幅一幅 絹本著色[落款]「玉円藤原永信筆」[印章]「永信」(朱文重郭方印)[所見]玉円永信は御徒士町狩野家の画家。品格高く、優品と称すべし。文化(1804〜18)頃の人というが、父の休伯満信は寛政9年(1797)に家督を継いでいるから、子の玉円永信は文政〜天保(1818〜44)年間を活躍期と考えてよいであろう。十等身くらいのプロポーションが印象的なり。伝狩野休円清信(1627〜1703)Attributed to: Kano Kyūen Kiyonobu江戸時代 17世紀後期〜18世紀前期掛幅一幅 絹本墨画[落款]「清信筆」[印章]「清信」(朱文方印)[所見]室町風の古様を祖述する擬古的な作品。清信について沢田章『日本画家辞典』(紀元社、1927年)に「筆法周文に学び狩野氏の家風を兼ぬ、祐勢の門人なりと、明応頃の人なるべし」とあるが、一見、古様を示すものの描法・筆致は江戸狩野以降のもので、款印の形式も18世紀以降のものと思われる。したがって、狩野休円清信に擬定しておく。狩野休円晴信(生没年不詳)Kano Kyūen Harunobu江戸時代 19世紀前期掛幅一幅 絹本墨画[落款]「休圓筆」[印章]「信」(朱文方円印)[その他]箱書あり。[所見]休円は麻布一本松狩野と考えられるが、初代は清信、二代は為信(1729〜1802)、三代は喜信で名が合わず。四代休円玉信もいる。印章は形のまま(夜に入っ

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