ボストン美術館 日本美術総合調査図録 図版篇
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90点、飛鳥から近代に至る各時代の作品を含んでい ボストン美術館所蔵の日本の仏像・神像彫刻は約る。以下各時代ごとに(ただし鎌倉時代まで)それらの作品をとり上げて、日本彫刻史上の位置を略述する。中には既に詳しい紹介、考察のある作品も多く、それらについては簡単に、それ以外のものについてやや詳しく述べることにする。 飛鳥・奈良時代(538〜794)の作品は塼仏2点と金銅仏1体のみである。塼仏とは粘土を雌型に入れて抜き、仏菩□等の像を浮彫り状に表して焼いたもので、仏殿の壁などに並べて荘厳したもの。日本では山田寺など飛鳥・奈良時代の寺院址から出土するが、厨子などに入れて単独の礼拝対象とされる場合もある。1・2番は中国からの請来品を手本に造られたと思われ、初唐の様式をよく伝えている。3番「観音菩□立像」は、飛鳥時代のもっとも主要な造像材料である銅造鍍金の像、いわゆる金銅仏である。やさしくふくよかな顔立ちや柔軟な肉身表現は飛鳥から奈良への転換期の様相を示し、7世紀末から8世紀初めの作と思われる。 平安時代前期(794〜931)の作品は2件である。奈良時代の後半、檀像の影響下に木彫が行われ始め、一方で木心乾漆像の木心部分が木彫として成長し、両者が相俟って木彫の盛行を導いた。4番「菩□立像」は8世紀後半おそらく鑑真に随行した工人による檀像風の唐招提寺木彫を源としながら、鋭さと柔軟さを増した木彫的彫法による大作で、量感と動きを備えた点にもこの期の特色をよく示している。5番「増長天・多聞天立像」は飜波式衣文と重厚な量感にこの期の特色をよく示す作品である。 平安時代後期(931〜1185)はなお中国彫刻の影響が強かった前期に対し、次第に表現に柔らかみを増し、11世紀前半、仏師定朝(?〜1057)によって表現や造像技法の上で中国風を脱していわゆる和様が完成し、それが1世紀以上にわたって支配的となる時期である。 定朝様式成立以前の作品として6〜10番の5件がある。いずれも平安前期以来の、頭・体の根幹部を一材から彫成する一木造りになるが、前期の作品に較べて量感を減じ、彫りが浅くなっている。ここでておく。その光背が周縁部に至るまで檜の一枚板製で、二重円相部の輪郭や周縁部の文様などを彫り出さず、すべて彩色で表している点に特徴がある。いわゆる板光背である。像本体と台座も彫りは簡略で、細部や文様は彩色だけで表していた。これも板光背像の特色である。板光背の早い時期のものでは9世紀後半の京都室生寺金堂薬師如来立像(伝釈□如来)が有名で、奈良当麻寺本堂の屋根裏から主として10世紀と見られる大量の板光背が見出されている。都をやや離れた地域で行われた造り方である。10番の板光背像は光背・台座を備えた完形品として貴重な遺品である。なお34番「阿弥陀如来坐像」は作風から鎌倉時代の制作と考えられるが、これも光背・台座に至るまで遺存する板光背像としてここに挙げておく。 定朝により完成された和様彫刻の典型が、彼の唯一の確実な遺作、京都平等院鳳凰堂阿弥陀如来坐像である。その穏やかな表情の丸顔、薄い衣をまとい、柔らかな曲線と曲面で形造られた身体各部の調和のとれた構成、胸が薄く後に引けた体型は、この期の各種の尊像(11〜32番)に支配的となった。これらの像は共通する感覚によって造られ、一定の水準を保っているが、中でも6・11・19・23〜27番は整った美作であり、ことに25・26・27番には当初の美麗な彩色・切金がよく残る。は10番「虚空蔵菩□坐像」についてやや詳しく述べ水野敬三郎42ボストン美術館の仏像・神像

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