□台僧慈□会□する布□悔)において戒などを納める箱で、蓋)とその壇上に配置する法具類、あるいは護摩壇、な □磨)、また護□摩□摩壇の場合は、護摩炉や護□昧□耶□器□・塗□器□□集って懺□□・金□□れ金□□剛□□杵□□剛□□□□□ 大壇上に配置される法具は、金□□鈴□□剛□□盤□□、その前に置く羯□□橛□□□おり、近江坂田郡能登瀬の百□□如□□庵□□のセット(組法具)壇中央の輪□壇上四隅に立てる四□□らに金剛杵(鈴)には、鈷の数や形状によって、独□□杵□□芳□□□□□□体□□箱□□認め印可(許可)を与える伝□□法□□の鐘楼に釣る梵鐘から、堂内で用いる小さな鈴□□□□口□□灌□□□頂□□ 堂内の机類や法会・儀式の際、僧侶が座す礼□□盤□□□□法□□□□戒□□□場□□壇□□香□□□□水□□□□存する奈良時代の佐波理黄に形式や地金色が似るが、地金の成分など科学的な分析を経て、あらためて製作年代を再考すべきであろう。 僧侶が法会・儀式で用いる道具を僧具といい、袈裟などの僧衣も含める場合があるが、本書では袈裟は別項で取り上げる。僧侶が仏前へ薫香する際に携える柄香炉は、供養具に含めることもできる。51番「蓮華形柄香炉」は、全体を蓮華・蓮茎形に成形したもので、とくに中世以降に流行する形式である。水瓶も、飲食所用の供養具でもあるが、ここでは僧がえてここに入れた。形式から分類すると数種になるが、53番「水瓶」はまさに「布□形」と通称される下膨れの胴部の上に中央が締まった首と注ぎ口を備えるもので、その姿から鎌倉時代の製作と考えられる。 密教寺院の本尊の宝前に据える方形の大壇(修やその諸用具など、密教寺院でのみ用いられる道具を総称して密教法具とよぶ。本来はその目的に応じて供養具、僧具あるいは堂内具にも分類可能なものであるが、その特殊性からここでは一項を設けている。辺に並べる一面器(火舎・六器・飲食器・華瓶)、あるいは壇前方の脇机に置く二器(灑塔杵(鈴)などの別がある。その他、関連品として戒体箱や壇の外に配置する燈台などもある。 注目すべきは白檀製の57番「独鈷杵」・65番「三鈷杵」・77番「五鈷杵」の一具で、箱に「江州阪田郡能登瀬村百如菴什物/三杵/百城遺附」とあると(鈴)、三鈷杵(鈴)、五鈷杵(鈴)、宝珠杵(鈴)、宝における手を浄める道具と考など多種に及ぶ。さ□鈷の什物であったと154番「磬 165番「戒 167番「釣鐘形合子」の作者の海野盛寿(1834〜96)172番「八足几」のような多脚几は、本来神社の所知られる。この百如庵は、安永年間(1772〜81)に天は古様がよく踏襲され、巧緻な細工を見せる。 寺院の堂内外において用いる鳴器の総称で、堂外を含む。仏前で法会・儀式・読経の始終時に鳴らす体を蓮花形にかたどったもので、鎌倉時代後半の作風を示す。堂前に懸ける164番「鰐淀城の前にあり明治に廃寺になった「光明寺」の寺名と製作にあたった京都・三条の鋳物師「國松庄兵衛忠久」の銘がある。 箱や合子などの収納容器を分類した。中身のないもの、もしくは用途の明らかでないものも含む。る儀式(三表や側面に輪宝や羯磨といった法具文の金具を取り付け、唐草文を線刻して飾る。法具文に鎌倉時代の力強さが見られ、保存状況も良好な優品である。は明治の彫金家で海野美盛の門人。合子形に仕上げられているが置物として作られたのであろう。の上に配置さ□□宝、壇の四どがある。前机・脇机には、各種の供養具や僧侶の必携品、勤行の際の経典等が配され、礼盤には半畳と呼ぶ畳が置かれる。密教の大壇もここに分類した。用品としても用いられたものである。 最後になったが、当初の調査から約20年が経過し、とくにこの分野では文化財分析の導入が盛んとなって金属材料の非破壊による定性・定量による組成分析が進んでいる。中でも、蛍光X線分析装置による解析は、博物館の収蔵品や重要作品を中心に実(百如和尚)が創建した寺で、三杵の細部に」は、最も汎用する山形磬と異なり、全」は、密教で修行僧に法の伝授をまで」には、京都・に先立って行われ⑤密教法具(57〜153番)④僧具(48〜56番)⑥梵音具(154〜164番)⑦収納具(165〜167番)⑧堂内具(168〜172番)59
元のページ ../index.html#129